急に緊張し、さすがに責任を痛感した。
「よしッ! 死んでも、横浜まで往ってみせるぞ」
 僕は、ハンドルを握った。コンパスや海図と睨《にら》めっこして待っていると、やがて、機関室へ降りて往った陳君が、出帆を僕に促すために、不意に勇ましく汽笛を鳴らした。
 ボー。ボー。ボー……。
 余韻《よいん》は長く、北洋の空に響いたが、それは、白人の密猟者に挑戦する、進軍ラッパのようだった。
 果して、汽笛の音を聞きつけると、彼方《かなた》の入江、此方《こなた》の島影から、端艇《ボート》が姿を現わし、本船目指して漕《こ》ぎ寄せてくる。
「おーい」「おーい」
 と、船長はじめ、乾児《こぶん》たちは、声のかぎり絶叫し、死物狂いにオールを漕いでくる。
「ざまア見ろ、みんな無人の孤島で餓死してしまえ」
 僕は、愉快になって、ハンドルを力いっぱい回した。素人運転士の僕だが、白人を克服せんとする意気で、柔腕《やさうで》にもかかわらず、千五百|噸《トン》の巨船が自由自在に動き、舵機《だき》も、スクリウも、僕の命ずるがままになってくれる。同じ素人の陳君も、旨くやってくれているとみえて、機関の音も軽快に響いてくる。
 船首は、南々西に向っている。速力は十四、五|節《ノット》はあろう。北洋の三角波を、痛快に破って快走をつづけた。みると、置去りを食った海賊たちは、端艇のうえで、手を挙げ、足を踏み鳴らして去り往く本船に追い縋《すが》ってくる。
「おーい」「待ってくれい」死物狂いの叫びだ。僕は、いよいよ愉快になって応酬してやった。
「やーい。口惜《くや》しかったら、泳いで来い」
 そのまに、彼我《ひが》の距離は、またたくまに遠ざかり、やがて、五艘の端艇《ボート》は、海霧の彼方に姿を没してしまった。船長ピコルはじめ、海賊たちは、どんなに口惜しがっていることだろう。地団太《じだんだ》踏んで、わめき立てているさまを想像すると、滑稽《こっけい》でもあった。二時間ほど、盲目滅法《めくらめっぽう》に快走をつづけたが、どうしたことか、左手に島影も発見できない。コンパスや海図と睨めっくらしてたしかに、北千島列島を左にして、南々西に針路を向けているのだから、次の無人島を左手に眺望できなければならぬ。海図では、アブオス島の南方には、マカルス島が連なり、それからオンネコタン、カアレンコタン、イカルマなどの諸島が、飛石のように列《
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