は、急に、会心の笑いをもらした。
「ハハハ。それだ、わしの求めていたことは」
「え!」
「つまり、わしは、心臓は、動物の生命の原動力であるかどうかを実験したのじゃ。小僧、おまえの小さな心臓の代りに、あの安南人の大きな心臓を移し替えてみると、わしの学説のとおり、おまえは、あの大きな安南人のように、勇敢に、力強くなったじゃないか。ハハハハハ。もうそれでよい。わしと妥協しよう」
「それじゃ、いまのは嘘《うそ》ですか。眼球を取替ようというのは」
「嘘ではないが、しばらく中止さ。ハハ……」
それから、二月は無事に過ぎた。
怪老人は、ふたたびメスを揮《ふる》おうとはせぬ。が、油断はならない。隙《すき》をうかがってまた、奇怪な解剖をやらぬともかぎらぬ。陳《チャン》君は、それで、夜もろくに眠らず警戒しつづけた。
幽霊船は、長い漂流をつづけているうち、次第に南海の方へ進んでいるようだ。北洋で見うけた、氷の砕片や、寒流特有の海の色は、いつか消えて、暖かい風が甲板を吹いていたが、このごろでは、むしろ、熱風が肌に感じられるようになり、椰子《やし》の実が、ひょうひょうと波にうかんでいるのを見うける。
南海に流れてくるうちに、船底の冷凍室の紅鮭《べにざけ》やオットセイが、腐敗しはじめた。急速度に腐敗し、臭気は、船底一杯に充満し、船室に居られなくなった。それで、二人は、夜も、甲板で眠ることにした。
「困った。飲料水が腐りかけましたよ」
陳君は、不安の面持《おももち》でいうと、怪老人は、
「なアに、海水を呑《の》むさ」一向平気である。
「海水なぞ、呑めやしないじゃありませんか」
「心配することはない。わしが、海水から塩分を取りのぞいて、旨《うま》い飲料水をつくってやる……それよりかどうだ、小僧。冷凍室のものが腐り、飲料水まで腐りかけたというのに、中甲板にころがっている四つの屍骸《しがい》が、少しも腐敗せんじゃないか」
「なるほど、妙ですね」
「妙ではない、当然のことなのだ。わしの創案した防腐剤の偉力は、このとおりじゃ。何なら、おまえにも、防腐剤を注射してやろうか」
「え!」
「生きながら、偉効《いこう》のある防腐剤を注射すると、おまえの肉体は、永遠に死なぬぞ」
「冗談じゃありません。防腐剤は、死んでからねがいます」
「ところが、わしは、生きた人間に、それを試みたいのじゃ。小僧、おまえの肉
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