大きな抹香鯨《まっこうくじら》だった。しかも、鯨の奴《やつ》、白いお腹《なか》を上に向けて、悠々潮流に乗っている。
僕は、ゆうべから、抹香鯨のお腹の上に眠っていたのだった。
「なアんだ。お腹の上にいたのか」
僕は、可笑《おか》しくなってひとりで笑った。が、考えてみると、鯨がお腹を上に向けて泳いでいるわけはない。僕は、やっと怪物の謎《なぞ》を解くことが出来た。
「ああ、そうだ。こいつは、鯨の屍骸《しがい》だったのか。どうりで、僕を竜宮へ連れて往かなかったはずだ」
それがわかると、少しつまらなくなった。けれど、鯨の屍骸なら、結局安全だ。竜宮へ連れて往ってくれないかわりに、こうして漂流しているうちに、やがて、捕鯨船に発見されるだろう。
「まずまず安心」
そこで、僕は、また、鯨のお腹の上で横になろうとして、ふと、左手はるかに瞳《ひとみ》を投げると、おもわず、
「おや!」
と叫んだ。そのおどろきも当然、はるか南東の洋上に、ふしぎな島が、うかんでいるではないか。しかも、その島は純白で、朝陽《あさひ》をいっぱいにうけて、銀色さんぜんと輝いているではないか。
「島かな。帆船かな。それとも氷山かな」
だが、氷山が、こんな暖かい風の吹く海洋まで流れてくるはずはない。では、貝殻の島かもしれない。貝殻や鳥糞《ちょうふん》が、島嶼《しま》のうえに堆積して、白い島にみえるのもある。けれど、その白さとちがって、あの銀色さんぜんと輝いているところは、どうしても氷山だ。
可笑《おか》しい。どうして、氷山が、こんな暖かい海洋へ流れて来て溶けないのかしら。
ふしぎにおもって、なおもよく見入っていると、僕を乗せた鯨の屍骸は、どうしたことか、いつのまにか、急速力を出して、かの氷山を目指して進んでいるではないか。
「おや、いよいよ可笑しいぞ。鯨が生き返ったのかしら」いや、生きたのではない。鯨の屍骸は、狂おしく迅《はや》い潮流に乗って、矢のように走り出したのだ。しかも、その方向は、はるか彼方《かなた》に浮ぶ氷山を目指している。それが磁石に吸いつけられるように、かなりの速力で氷山に近づいているのだ。
「こいつは剣呑《けんのん》! あの氷山に正面衝突してみろ、鯨|諸共《もろとも》、僕の身体も木葉微塵《こっぱみじん》になるだろう」
さすがの僕も、今度こそは、怖《おそ》ろしくなって眼を瞑《つむ》った。
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