なことは聞きもせず、見ぬふりで娘の方をちらりと見て、それなり室を出てしまうと後から笑い声が聞えた。自分の噂だなと嬉しく思ッたが、今さら考えると、なんのそうでもなかッたのであろう、晩方から親類、縁者、叔父の朋友《ほうゆう》、大勢集まッて来たが、中には女客もあッたゆえ母を始め娘も、姉も自分もその席に連なッた。そのうちに燭台《しょくだい》の花を飾ッて酒宴が始まると、客の求めで娘は筑紫琴《つくしごと》を調べたがどうして、なかなか糸竹の道にもすぐれたもので、その爪音《つまおと》の面白さ,自分は無論よくは分らなかッたが、調べが済むと並みいる人たちが口を極めて賞めそやした。娘は賞められて恥かしがり、この席に連なッているのをむしろ憂《つら》いことと思ッているらしく、話もせず、人から物を言いかけられると、言葉少なに答えをするばかり、始終下を向いていた,がその風はいかにも柔和でしとやかで、微塵《みじん》非難をする廉《かど》もなく、何となく奥ゆかしいので、自分は余念もなくその風に見とれていた。
自分の父は武辺にも賢こくまた至ッて厳格な人で、夏冬ともに朝はお城の六ツの鐘がボーンと一ツ響くと、その二ツ目を聞かぬ間にもウ起き上ッて朝飯までは、兵書に眼《まなこ》をさらすという人であッた,それゆえ自分にも晏起《あさね》はさせず、常に武芸を励むようにと教訓された。
自分はありがたいことには父のお蔭で弓馬|鎗剣《そうけん》はもちろん、武士の表道具という芸道は何一ツ稽古に往かぬものはなかッたが、その中で自分の最も好いたものはというと弓で,百歩を隔てて、柳葉《りゅうよう》を射たという養由基《ようゆうき》、また大炊殿《おおいでん》の夜合戦に兄の兜《かぶと》の星を射削ッて、敵軍の胆《きも》を冷やさせたという鎮西《ちんぜい》八郎の技倆《ぎりょう》、その技倆に達しようと、自分は毎日朝飯までは裏庭へ出て捲藁《まきわら》を射て励んでいた。
今日も今日とて裏庭へ出て、目指す的と捲藁を狙《ねら》ッて矢数幾十本かを試したので、少し疲れを覚えて来たゆえ、しばし一息を入れていると冷や冷やとして心地《こころもち》よい朝風が汗ばんで来た貌や、体や、力の張ッて来た右の腕《かいな》へひやりひやりと当るのが実に心持のよいことであッた。誰でも飢えた時|渇《かわ》いた時には食物や水がうまいものであろうが、その時の朝風は実にその食物や水
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