「もウ来たろうか?」と繰り返していた。稽古が済むと、脱兎《だっと》何のそのという勢いでいきなり稽古場を飛び出したが、途中で父の組下の烏山《からすやま》勘左衛門に出遇ッた。
 勘左衛門は至ッてひょうきんな男ゆえ、自分ははなはだ好きであッて、いつも途中などで出遇う時にはいい同行者《みちづれ》だと喜んで、冗談を言いながら一しょに歩くのが常であッた。今日も勘左衛門は自分を見るといつもの伝で,「お坊様今お帰りですか?」とにっこりしたが、自分は「うむ」と言ッたばかり、ふり向きもせず突ッこくるように通り抜けたが,勘左衛門はびっくりして口を開《あ》いて、自分の背《うしろ》を見送ッていたかと思うと、今でもその貌《かお》が見えるようで。
 自分は中の口から奥へはいッてあたりの様子に気をつけて見たが客来の様子はまだなかッた,さてはまだなのかと稽古着のままで姉の室《へや》へ往ッて、どうしたのだろうと噂《うわさ》をしていた。しばらくするとばたばたばたという足音がして部屋の外から下女の声で、
「お嬢さま、お嬢さま! お客さまが、江戸の」
 自分はいきなり飛び出そうとした,「静かに!」姉に言われてそうだッけと、静かに玄関の方へ往ッてそしてお雪という娘を見た。
 この時娘は、叔父の後《あと》に続いて伴《とも》の女中をつれてしとやかに玄関を上ッて来た娘は、なるほど、母の賞めた通り誠に美しい娘だ,背《せい》はすらりと高く、色はくッきりと白く、目はぱッちりと清《すず》しく、ほんとうの美人だ。黛《まゆずみ》を施し、紅粉を用い、盛んに粧《よそお》いを凝らして後、始めて美人と見られるのはそれはほんとうの美人ではない、飾らず装わず天真のままで、それで美しいのが真の美人だ。この時の娘の身装《みなり》は旅姿のままで、清楚《さッぱり》とした装《なり》で飾りけの気もなかッたが、天然の麗質はあたりを払ッて自然と人を照すばかりであった。それにどんなに容貌《かおかたち》が美しくても、気象が無下に卑しい時は、どうも風采《ふうさい》のないものであるが、娘は見るからがその風采の中に温良貞淑の風を存していて、どことなく気高く、いかなる高貴の姫君というとも恥かしからぬ風であッた。
 それに田舎者はどれほど容貌が美しくても、どれほど身装が立派であッても、かの一種言いがたき意気というか、しなやかというか、風流というか? かの一種たおやかな
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