黍《きび》などが収穫されつつあった。畑の中に長々と両足を投げ出して一休みしている人々もあった。太い煙管《きせる》ですぱすぱ[#「すぱすぱ」に傍点]烟《けむり》をふいている人などもあった。そうかと思うと、二町ほども距《へだた》った所から、まるで風のような荒い声で、何か面白そうにその老爺に話しかけている者などもあった。空には赤とんぼの群がちらちら[#「ちらちら」に傍点]飛んでいた。農夫等の仕事は、彼にはいかにも楽しそうに見られた。そこには適度の暖かさを持った日光と、爽やかな清新な外気とがある。健康な肉体がその中で、その右、左、前、後へと、いとも安々と動いている。いかにも滑らかに。何の滞りもなく。――それは決して労働と呼ぶ事ができないように思われた。と云うよりは、むしろそれは慰みであり、一種の遊び事ででもあるかのようにさえ見做《みな》されたのである。
 何事に煩《わずら》わされるという事もないだろう。むろんこの瞬間に何を憤り誰を怨《うら》み、また誰から怨まれるという事があり得よう。そして一日の仕事を終った時には、疲れてまったくの無心になって空腹を感じて家路を急ぐのである。それは夕餉《ゆうげ》と睡眠とだけしかない。そして夜が明けて目を覚ました時、再び昨日と同じように一家打揃うて野に出て来るであろう。……それだもの彼等にとって何で国家の考などが必要であろう。何の思想が必要であろう。庸介にはこんなふうにも思われるのであった。それを、
「百姓は土の奴隷だ。」などと云う者があるとすれば、それはまるで見方を違えているというものだ。それはまるで別の世界から覗いて云った言葉で、彼等農夫自身にとってそれが何の意味でもありやしない。こんなふうにも思われるのであった。
 山の頂《いただき》は岩になっていて、このあたりには木がまるっきり繁っていない、で、展望が非常によかった。△△川がすぐ目の下で白くうねうね[#「うねうね」に傍点]と流れている。そこに白帆が列をなして幾つともなく通っている。橋の上をゆく人力車までが見える。今、通って来た耕原の中の人々がここから呼べば応じそうに近く見えた。遙か遠くに日本海が白く光って見えた。そこを航海している汽船や帆前船やが白い、黒い点となって見えた。そしてその向うには佐渡の山々が淡く浮いている。
 やや左手に独立した小山脈の一帯が青く見えてるほか、数十里という耕原
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