近のとある素人下宿に落ちつきました、純粋の赤ケツトが何かにつけ指導を被つたのは曰ふ迄もなく、今の追懐にも感謝せずには居れません。十月の末には都合上ロンドン北西部、翌卅五年三月には其近くのタフネル、パークに転居し、其後病気のため英国南岸ブライトン附近に仮寓したこともあります。
九月上旬夏目さんをもとの下宿に訪問すると(其訪問は全く偶然であつたか、誰からか病気と聞いての上であつたか、忘却)驚くべき御様子――猛烈の神経衰弱、――大体に於て「改造」正月号第二十九ぺージにあなたが御述べになつてゐる通りの次第でした。
但し同ぺージに『英文学の研究で留学を命ぜられて彼方へ行つてゐた某氏が落合つて様子を見ると、ただ事でない……三日ばかり其方が側についてゐて下すつたさうですが、見るほど益怪しい、そこへ文部省とかへ夏目がロンドンで発狂したといふ電報を打たれたといふことです』とありますが、此中の誤は正さねばなりません。私は文部省派遣の留学生では無く前述の如く、父にせがんでの全く私費生でした、其以前に一年有余二高の教授となつては居ましたが、当時は依願免官のあとで、文部省とは何等の関係のない一私人一浮浪人でありました。何等の関係のない一私人が文部省に対して『貴省の留学生夏目が発狂した……』と打電したなら其こそ本気の沙汰ではありますまい。文部省にせよ、何省にせよ、省の官命に因て派遣された者の行動に関し消息に関して督学官に非ず監督官にあらず一私人が本省に打電するといふべきことはあり得べきことでせうか、常識は之に対して否と答へることは明々白々と信じます。
始めの二日は日通ひでお見舞しましたが下宿のリイル婆さん(老ミスの姉妹二人)が『心配だから一寸でも傍について見てくれ』と曰ひ、漱石さんも『君が居てくれると嬉しい』と曰はれるので、九月九日(重陽だから暗記し易い)朝まづ領事館に行つて住居変更を届け(翌十日公使館にも同様)五月十八日迄クラパムのチエーズ八十一に滞在しました、大した御役にも立たず、ろくなお世話も出来なかつたのですが、ともかく十日ばかり同宿したのであります(領事館或は公使館に明治三十五年の日本人住居録が若し保存されてあるなら以上の日附の誤ないことが証明されませう、どうでもよいことなのですが)
其同宿の折であつたか後であつたか、故芳賀矢一先生が独乙留学の期が満ちて帰朝の途中ロンドンに来
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