水面に影を宿すとき
江山遠き一竿《いつかん》の
不文のひじり何と見む
思は清く身は輕く
自在はわれに似たる身の。

自然の姿とこしへに
われは昨日の我ながら
嗚呼函關の紫も
昔のあとぞ遙かなる、
帝郷遠し影白く
泛べば慕ふ友や誰れ。

  星と花

同じ「自然」のおん母の
御手にそだちし姉と妹《いも》
み空の花を星といひ
わが世の星を花といふ。

かれとこれとに隔たれど
にほひは同じ星と花
笑みと光を宵々に
替はすもやさし花と星

されば曙《あけぼの》雲白く
御空の花のしぼむとき
見よ白露のひとしづく
わが世の星に涙あり。

  鷲

紫にほふ横雲の
露や染めけむ花すみれ
花に戯るゝ蜂蝶《ほうてふ》の
戀か恨かうつゝ世の
はかなき春をよそにして
 大空のぼる鷲一羽
 あらしは寒し道さびし。

春の姿はたへなれど
花の薫りはにほへれど
其春よりも美はしく
其花よりもかんばしき
雲井のをちをめざしつゝ
 大空高く鷲一羽
 あらしはきびし道かたし。

背には無限の天《てん》を負ひ
緑雲はねにつんざきて
飛び行くはてはいづくぞや
望のあした持ち來る
高き薫りのあとゝめて
 大空めぐる鷲一羽
 あらしはつらし道すごし。

嗚呼コーカサス峯高く
千重の叢雲むらだちて
下界のひゞきやむところ
天上の火を奪ひ來し
彼のたぐひか青ぐもの
 大空翔くる鷲一羽
 あらしははげし道遠し。

  萬有と詩人

[#ここから4字下げ]
Atque omne immensum peragravit mente
 animoque. Lucretius.
[#ここで字下げ終わり]

「渾沌」よさし窮りて
時「永劫」のふところを
出でしわが世のあさぼらけ
かざしににほふ明星の
光に琴を震はして
詩人よ君は歌ひしか。

流るゝ光りしづむ影
過ぎし幾世の春秋ぞ
巖は移り山は去り
淵も幾たび替りけむ
おほあめつちの美はしき
たくみは今もむかしにて。

あゝわだつみの波の花
銀蛇の飛ぶに似たるかな
仰げば空に虹高し
虹にも醉はぬわがこゝろ
波にもにぶきわがこゝろ
たのむは獨り君が歌。

生ける焔のバプテズマ
浮世の塵を燒き掃ひ
雲を震はせ風に呼び
光に暗に伴ひて
大空遠く翔けりくる
詩神の歌を君聞くや。

あさ日の光りゆふ光り
かれとこれとの染め替ふる
たくみもよしや天雲《あまぐも》の
輕羅のころも花ごろも
曳くやもすその紅に
詩神の影を君見るや。

「泉のほとり森のかげ
光てりそふ岡[#「岡」に「(一)」の注記]」のみか
あしたの風の吹くところ
ゆふべの雲のゐるところ
露のしづくのふるところ
いづくか歌のなからめや。

流るゝ水のゆくところ
きらめく星のてるところ
緑の草の生ふところ
鷲の翼を振るところ
獅子のあらしに呼ぶところ
いづくか歌のなからめや。

春は吉野のあさぼらけ
こむる霞のくれなゐも
遠目は紛ふ花の峯
夏はラインの夕まぐれ
流は遠く水清く
映るも岸の深みどり

汨羅の淵のさゞれなみ
巫山の雲は消えぬれど
猶搖落の秋の聲
潮も氷る北洋の
巖を照らすくれなゐは
光しづまぬ夜半の日か。

路に斃れしカラバンの
枯骨碎けて塵となり
魂《たま》啾々の恨さへ
あらしにまじる大砂漠
もの皆滅ぶ空劫の
面影君はこゝに見む。

黒雲高くおほ空の
照る日の影を呑みけして
紅蓮の焔すさまじく
巖も熔くる火のみ山
あめつちわかぬ渾沌の
おもかげ君はこゝに見む。

まぼろし追うてくたびれて
しばし野末の假のやど
結ぶや君よ何の夢
さむれば赤したなごゝろ
あたりの風を匂はして
笑むはやさしの花ばらか。

涙にあまる思[#「思」に「(二)」の注記]とは
歌ふをきゝぬ野路の花、
荒磯蔭のうつせ貝
聲なきものを何人か
海のしらべをこゝろねを
其一片に聞き[#「聞き」に「(三)」の注記]にけむ。

たかねの崖に花にほひ
情波の淵に歌は湧く、
無象を聲に替ふるてふ
君が心耳《しんに》のきくところ
空のいかづち何をつげ
夜半のこがらし何を説く。

夜半のこがらし何を説く、
「眠」の如く「死」の如く
やさしき鳩の羽《はね》たゆく
ゆふべの空に下《お》るごとく
詩神の魂《たま》の降り來て
君が心をみたすとき。

夜の薫りの高うして
天地しづかに夢に入る
うちに聲なく言葉なく
またゝく窓のともしびに
風の姿を眺めては
思はいかに君が身の。

心の窓も押しあけて
眺むる空に流れくる
星の行衞はいづくぞや
清きアボン[#「アボン」に「(四)」の注記]の岸のへか
咲くタスカン[#「タスカン」に「(五)」の注記]の花の野か
それワイマア[#「ワイマア」に「(六)」の注記]の森蔭か。

北斗は遠し影高し
望の光り愛の色
かれにもしるき參宿[#「參宿」に「(七)」の注記]の
もなかにひかりかゞやきて
(か
前へ 次へ
全14ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
土井 晩翠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング