忘れ
心も空に佇ずめば
風は凉しく影冴えて
雲間を洩るゝ夏の月
一輪霞む朧夜の
花の夢いまいづこぞや。
憂《うき》よ思よ一春の
過ぎて跡なき夢のごと
にがき涙もおもほへば
今に無量の味はあり
浮世を捨てゝおくつきの
暗にとこしへ眠らんと
願ひしそれも幸なりき。
流はゆるし水清し
樂《がく》の、光の、波のまに
すゞしく澄める夜半の月、
あゝ自然の心こゝろにて
胸に思のなかりせば
樂しかるべき人の世を。
籠鳥の感
嗚呼青春の夢高く
理想のあとにあこがれて
若き血汐の躍るとき
人も自在の翼あり。
自在の翼また伸びず
現《うつゝ》の籠に囚はれて
餌に鳴音を搾るとき
狂ふ※[#「口+斗」、23−上−13]を誰れか聞く。
狂ふ※[#「口+斗」、23−上−14]もしづまりつ
籠を天地と眺めては
御空のをちも忘られむ
理想の夢もさめ果てむ。
こゝに囚はれこゝにやむ
あだし命の一時や
うたてうたかたうつゝ世を
我嘆かんや笑はんや。
馬前の夢
[#ここから横組み]
[#ここから5字下げ]
〔“Etre d' un sie`cle entier la d' pense'e et la vie,〕
〔E'mousser le poignard, de`courager l' envie,〕
〔E'branler, raffermer l' univers incertain,〕
Aux sinistres clartes de la foudre qui gronde,
Vingt fois contre les dieux jouer le sort du monde,
Quel reve !!! et ce fut ton destin !”
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]Lamartine : Nouvelles Meditations.
[#ここで横組み終わり]
おほ空涵すわだの原
波間の星は影消えて
天地をこむる暗の色
暗を掠めて夜あらしは
時こそくれと狂ふなる
魔神の※[#「口+斗」、23−下−14]ものすごや。
やがて降りくる雨の音
雨に答ふる波の音
銀山碎け飛び散りて
暗にもしるき汐烟り
白衣の幽鬼群がりて
よみに迷ふに似たるかな。
風雨《ふうう》いよ/\荒れ行きて
四大のあらび渾沌の
世の有樣もまのあたり、
夜の惱みをいやまして
雷車亂るゝ雲のへに
魔炎の光りたれか射る。
嗚呼すさまじの雨の夜
あらしも波も聲あげて
歌ひ弔へはなれ島
至尊の冠《かむり》いたゞきし
かしらは今はうなだれて
かれはいまはの床にあり。
疵に惱みて砂原の
月に悲む荒獅子か
檣折れてわだつみに
沈み消行く大船か
紅蓮《ぐれん》の焔しづまりて
雪に掩はるゝ死火山か。
馴れ來し邦を、とも人を、
隔てゝ遠き離れじま
都の春の一夢を
磯のあらしにさまさせて
氣は世を葢ほふますらをは
いまはの床に眠るかな。
名は一代の史をまとめ
身は全歐の權を統べ
嫉むを挫じき仇を撃ち
暗と光のおほ波を
世に注ぎしも二十年、
今はた狂ふ雨の夜
あらしに魂の迷はんと
思ひやかけし神ならで。
十萬の鐵馬アルベラ[#「アルベラ」に「(一)」の注記]の
あらしを蹴りて驅けし後
三千の精騎ルビコン[#「ルビコン」に「(二)」の注記]の
流亂して越えし後
彼に比べんものやたぞ
群山遠く下に見て
空に聳ゆるアルプスの
高きは君の名なる哉。
斷頭臺の血を灑ぐ
革命の波推しわけて
現はれいでしタイタンの
まばゆき光照らすとき
「民主自由」の聲いづこ
渦づく時世の高しほを
しばし隻手にとゞめけむ
猛きは君の威なるかな。
そら舞のぼる蛟龍の
黒雲集め雨を驅り
風に嘯き呼ぶがごと
山を震はせ海をほし
進める君が行先を
拒ぎとゞめしものやたぞ。
颶風の翼身に借りて
征塵高く蹴たつれば
脆く亂るゝマメリューク[#「マメリューク」に「(三)」の注記]
奔るを逐ふて呼ぶ聲に
四千餘年の幽魂は
覺めぬ巨塔の墓の下。
サン、ベルナア[#「ベルナア」に「(四)」の注記]の嶺高く
雪滿山を埋むれば
響きは凄しアバランチ
難きをしのぎ險を越え
見おろす大野草青く
馬は肥たりマレンゴウ[#「マレンゴウ」に「(五)」の注記]。
オーステリツ[#「オーステリツ」に「(六)」の注記]の朝風に
同盟軍の旗高し
至尊の指揮に奮立つ
二十餘萬の墺魯軍
君の鋒先向ふとき
散りぬ嵐に葉のごとく。
イェーナ、ワグラム[#「ワグラム」に「(七)」の注記]雲暗し
フリードランド[#「フリードランド」に「(八)」の注記]風あらし
いかづち落つる砲彈の
渦卷く烟かきわけて
君がかざせる鷲の旗
飛電のつるぎ閃めけば
列王つちに膝つきて
見よもろ/\の國たみは
震ひどよめり海のごと。
セインの流靜かな
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