艪ヘ妻戀ふ牡鹿の音《ね》。
冬はあしたのあけのいろ
色無き空に色ありて
雪の梢に梅薫り、
梅の梢に雲かゝる。
嗚呼いつくしき天地の
たくみをいかにたゝへまし
同じ一日《ひとひ》の空合も
移るいくその眺めぞや。
天《そら》のはてより地のはてに
光と暗を布き替て
こゝに十二の晝の時
かれに十二の夜の時。
薄紫によこぐもの
たなびくひまを眺むれば
いろなる露を身にあびて
笑みつ生るゝ「あした」あり。
紅《くれなゐ》さむるかげろふの
光のおちを見渡せば
霞の袂ふりあげて
鳥呼び返す「夕」あり。
時雨の後は虹にほひ
虹の後には月にほひ
月はた遠く落行けば
あなたに明けの星あかし。
嗚呼おほいなる天地の
たくみをいかにたゝふべき
しづく集り塵つもり
こるもいくその形象《かたち》ぞや。
いゆき憚るしら雲を
麓なかばにとめおきて
落る日を呑み月を呑む
高きは山の姿かな。
春の霞も秋風も
共通路の沖遠み
潮逆捲き波躍る
廣きは海のおもてかな。
黒烟《くろけむ》高くなびかせて
麓の里の日を奪ひ
紅蓮《ぐれん》焔の波あげて
星なき暗の空をやく
火山の姿君見ずや。
千年《ちとせ》つみこし白雪を
凍ほれるまゝにさかおとし
八百重の嶺を打越して
海原遠くはこびゆく
氷河の流君見ずや。
嗚呼かぐはしき天地の
たくみをいかにたゝへまし
ひとつの氣《いろ》をもとゝして
染むるいくその匂ぞや。
砂漠《さばく》の月にほゆる獅子
秋野《あきの》の露にむせぶ蝶
かのたてがみもこのはねも
ひとついろとは誰か知る。
竹の林にはしる虎
汀の蘆に眠る田鶴《たづ》
この毛ごろももかの皮も
同じたくみと誰か知る。
星地に落ちてそのあした
谷間のゆりの咲く見れば
露影消てそのゆふべ
岑上《おのへ》の雲の湧く見れば――
おのが姿にあこがれて
花[#「花」に「(一)」の注記]となりしもあるものを
清き乙女[#「乙女」に「(二)」の注記]のむくろより
などか菫の咲かざらむ。
[#ここから改行天付き、折り返して6字下げ]
(註)(一)Narsissus. Ovid : Metamorphoses. B. III.
(二)Ophelia――Shakespear : Hamlet, Act V. Sc. I.
[#ここで字下げ終わり]
靜夜吟
夢皆深し萬象の
眠も夜も半にて
神秘の幕は
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