はどんどん火の子が来て、着物や髪にもえつくというようなありさまで、女や子どもの中には、ふみたおされて死んだものもどれだけあるか分らないと言われています。
 中でも一ばん悲さん[#「さん」に傍点]だったのは、本所の被服しょう[#「しょう」に傍点]あとへにげこんだ人たちです。そこは、ともかく何万坪という広い構内ですから、本所かいわいの人たちは、だれもそこなら安全だと思って、どんどん荷物をはこびこみました。夜になってからは、いよいよ多くの人が、むりやりにわりこんで来て、ぎっしり一ぱいにつまってしまいました。ところが、そこも、やがて、ぐるりと火の手につつまれ、多くの荷物へどんどんもえ移って来て、とうとう、三万二千という多数の人が、すっかり黒こげになってしまいました。
 その群《むら》がりかさなってたおれた人の一ばん下になっていたために、からくもたすかって息をふきかえし、上部の人がすっかり黒やけになったのち、やっともぐり出たという人が二、三十人ばかりあります。そんな人たちの話をきくと、まるで身の毛もよだつようです。或一人は、当夜、火の手がせまって息ぐるしくてたまらないので、人のからだの下へぐんぐん顔をつッこんでうつ伏《ぶ》しになっていたが、しまいには、のどがかわいて目がくらみそうになる、そのうちに、たまたま、水見たいなものが手にさわったので、それへ口をつけて、むちゅうでぐいぐい飲んだまではおぼえているが、あとで考えると、その水気《みずけ》というのは、人の小便《しょうべん》か、焼け死んだ死体のあぶらが流れたまっていたのだろうと話しました。
 そのほかいろいろの方面のそう[#「そう」に傍点]難者について、さまざまのいたいたしい話を聞きました。永代橋《えいたいばし》が焼けおちるのと一しょに大川《おおかわ》の中へおちて、後《あと》でたすけ上げられた或婦人なぞは、最初三つになる子どもをつれて、深川の方からのがれて来て、橋の半ば以上のところまで、ぎゅうぎゅうおされてわたって来たと思うと、急に、さきが火の手にさえぎられて動きがつかなくなり、やがてま上《うえ》へもびゅうびゅう火の子をかぶって息も出来ません。婦人はもうこれなり焼け死ぬものと見きわめをつけやっと帯や小帯《こおび》をつないで子どもをしばりつけて川の上へたぐり下《おろ》し、下を船がとおりかかったらその中へ落すつもりでまっているうちに、つい火気《かっき》で目がくらんで子どもをはなしてしまい、じぶんも間もなく橋と一しょに落ちこんで流れていったのだと話していました。隅田川《すみだがわ》にかかっていた橋は、両国橋のほかはすべて焼けおちてしまいました。
 浜町《はまちょう》や蔵前《くらまえ》あたりの川岸《かわぎし》で、火におわれて、いかだ[#「いかだ」に傍点]の上なぞへとびこんだ人々の中には、夜《よ》どおし火の風をあびつづけて、生きた思いもなく、こごまっていた人もあり、中にはくび[#「くび」に傍点]のあたりまで水につかって、火の子が来るともぐりこみ、もぐりこみして、七、八時間も立ちつづけていた人もあったそうです。

       三

 こういう話をならべ上げればかぎりもありません。
 同時に、一方では、あのおそろしい猛火と混乱との中で、しまいまで、おちついて機敏に手をつくし、または命をまでもなげ出して、多くの人々をすくい上げた、いろいろの人々のとうといはたらきをも忘れてはなりません。たとえば、これまで深川の貧民たちのために尽力していた、富田老巡査のごときは、火の危険な街上にしまいまで立ちつくして、みんなを安全な方向ににがし/\したあげく、じぶんはついに焼け死んでしまいました。また、下谷から焼け出された或四十がっこうの一婦人は、本郷の大学病院の後《うしろ》までにげて来ると、火の手はだんだんにそこへものびて来そうになりました。その一角には、地震でこわれかけた家々が、いる人もなく立ちのこっています。その家々へ火がついたら、すぐに病院へもえうつるわけです。婦人はそれを考えて、そこらへにげて来ている人たちをはげまし、綱なぞをあつめて来て、それでもって、みんなと一しょに、今言った家々をたおしておいて立ちのいたと言われています。あんのごとく火はちょうど、そこのところまで来てとまりました。
 つぎには、これは築地《つきじ》の、市の施療院《せりょういん》でのことですが、その病院では、当番の鈴木、上与那原《かみよなはら》両海軍軍医|少佐《しょうさ》以下の沈着なしょちで、火が来るまえに、看護婦たちにたん[#「たん」に傍点]架をかつがせなどして、すべての患者を裏手のうめ立て地なぞへうつしておいたのですが、同夜八時ごろには病院も焼け落ち、十一時半には構内にある第一火薬庫がばく[#「ばく」に傍点]発し、第二火薬庫もあやうくなりま
前へ 次へ
全7ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
鈴木 三重吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング