死人もわずか二、三千人ぐらい、家屋その他の損害も八、九十分の一ぐらいにとどまったろうということです。
地震の、東京での発震は、九月一|日《じつ》の午前十一時五十八分四十五秒でした。それから引きつづいて、余震(ゆれなおし)が、火災のはびこる中で、われわれのからだに感じ得たのが十二時間に百十四回以上、そのつぎの十二時間に八十八回、そのつぎが六十回、七十回と来ました。どんな小さな地震をも感じる地震計という機械に表われた数は、合計千七百回以上に上《のぼ》っています。
二
災害の来た一日はちょうど二百十日《にひゃくとおか》の前日で、東京では早朝からはげしい風雨を見ましたが、十時ごろになると空も青々《あおあお》とはれて、平和な初秋《はつあき》びよりになったとおもうと、午《ひる》どきになって、とつぜんぐら/\/\とゆれ出したのです。同じ市内でも地盤のつよいところとよわいところでは震動のはげしさもちがいますが、本所《ほんじょ》のような一ばんひどかった部分では、あっと言って立ち上《あが》ると、ぐらぐらゆれる窓をとおして、目のまえの鉄筋コンクリートだての大工場《だいこうば》の屋根|瓦《がわら》がうねうねと大蛇《だいじゃ》が歩くように波をうつと見るまに、その瓦の大部分が、どしんとずりおちる、あわてて外へとび出すはずみに、今の大工場がどどんとすさまじい音をたてて、まるつぶれにたおれて、ぐるり一ぱいにもうもうと土烟《つちけむり》が立ち上る、附近の空地《あきち》へにげようとしてかけ出したものの、地面がぐらぐらうごくので足がはこばれない、そこへ、あたり一面からびゅうびゅう木材や瓦がとびちって来るので、どうすることも出来ずに立ちすくんでいると、れいのたおれた工場からは、もう、えんえんと火が上《あが》って来たと話した人があります。
或《ある》人は、電車で神田《かんだ》神保町《じんぼうちょう》のとおりを走っているところへ、がたがたと来て、電車はどかんととまる、びっくりしてとび下《お》りると同時に、片がわの雑貨店の洋館がずしんと目のまえにたおれる、そちこちで、はりさけるような女のさけび声がする、それから先はまるでむちゅうで須田町《すだちょう》の近くまで走って来たと思うと、いく手にはすでにもうもうと火事の黒烟《くろけむり》が上っていたと言っています。
まったくそうでしょう。最初の
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