。
「今すぐいくといゝんだが、今夜はもうおそいな。病院ぢやみんなねてるかもしれない。まあいゝだらう。心配するな。おれが今手紙をかいてやるからな。」
「あのう、先生さま。」と、お母さんがこまつたやうにいひました。
「うちにや馬がないんで。」
「馬がない? うん、ぢやあ一頭かしてもらふやうに地主にはなしてやらう。」
お医者さまはかへります。あかりはけされました。バルカは、又お父つあんの「ぐるゝゝ」をきくばかりです。半時間ほどもたつと戸口に馬車がつきました。こんどのは、お父つあんを病院につれていく馬車です。そしてお父つあんはいつてしまひました。
夜があけて、はれ/″\とした朝が来ました。お母さんはお父つあんのことがしんぱいなので、病院へいきました。
と、赤ん坊が泣いてゐます。そのそばで、だれかゞ歌をうたつてゐます。
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「ねん/\よう。
ねん/\よう。」
[#ここで字下げ終わり]
お母さんがかへつて来ました。
「ゆんべはよかつたのに。」とお母さんは、すゝり泣きをしながらつぶやきます。
バルカは胸が一ぱいになつて、森の中へいつて、ひとりでしく/\泣きました。
「お父つあんは死んでしまつた。おゝ、お父つあん。」
ごつん、と頭をぶたれて、はつとバルカは目がさめました。目のまへには、親方が立つてゐます。
「やい、なにをしてやがるんだ。坊やが泣いてゐるぢやねえか。ねむるやつがあるか。」
親方は、またぴしやんとバルカの頬をなぐりつけました。バルカは、またうと/\とゆり籠をゆすぶつて、子守歌をうたひ出します。部屋の中の影はぶる/\とふるへうごいて、バルカにまばたきをしてみせ、すぐに又バルカの頭の中にすべりこんで、まぼろしになりました。――
またどろ/\の、ぬかるみがみえて来ました。袋をしよつた人が、グシヤッところがつて、ぐう/\ねこんでしまひます。あゝ、あんなふうにごろつとねころんだならば。おゝ、ねむい、ねむい、ねむい。
だけど、お母さんがやつて来て、はやく/\とせかせます。バルカは、お母さんと、町へ仕事をさがしにいくのです。
「どうぞ一銭やつて下さい。」
お母さんは、あふ人ごとに言葉をかけます。
「その子をおくれよ。」
だれか知つてゐる人のやうな声がします。
「おい、その子をおくれつたら。」
はッと、バルカはとびおきました。おかみさんがそばに立つてにらみつけてゐます。
「おまいはねてゐたんだね。ばか。」
バルカはだまつてつッ立つてゐます。すると、部屋の中が、だん/\水いろにあかるんで来て、ズボンの影も、緑いろのランプの光も灰いろにうすれ、やがて、壁の中へすひこまれるやうに消えてしまひました。夜があけて来たのです。おかみさんは、赤ん坊をうけとつてお乳をのませると、胸のボタンをはめながらいひました。
「まだ泣いてるよ、この子は。魔がさしてるんだよ。」
バルカは、赤ん坊をまたゆり籠に入れて、ゆすぶりはじめます。部屋の中には、もうなんの影もないので、まぼろしがのりうつゝてくることもありません.そのかはり、たゞ、ねむくてたまりません。バルカはねむ気をおひはらはうとして、籠のはしに頭をおしつけて頭で籠をゆすぶります。それでもすぐにまぶたがたるんで、頭がおもくなつて来ます。
「バルカ、ストーブをたきつけろい。」
戸のむかうから、親方がどなりつけます。さあ、いよ/\バルカの仕事がはじまりました。バルカは、まきをとりに、物置へかけだします。それがうれしくてたまりません。かけたりあるいたりしてゐれば、じつとすわつてゐるときよりも、ねむくならないからです。まきをとつて来て火をおこしてゐると、こはばつてゐた顔があたゝかにほぐれ、目もはつきりとさめて来ました。
「バルカ、湯わかしをもつて来てよ。」
おかみさんがどなります。こんなふうに、あとから/\、いろんな命令が出て来るのです。
「バルカ、親方の靴をおみがき。」
バルカは床に膝をついて靴をみがきはじめます。この大きな靴の中に頭をつッこんでぐう/\ねむつたら、どんないゝ気持でせう。かう思ふと、急に親方の靴がふくれあがつて部屋一ぱいにひろがりだしました。はつとして、バルカは靴ブラシをおとしました。けれど、すぐまた頭をふると、きよろきよろとあたりをみまはしました。なんにも大きくなりはしないぢやないかといつた顔つきです。
「バルカ、おもてをおはきよ。」
バルカは、おもてをはくと、もう一つ店のストーブに火をおこして、こんどは台所へかけていきました。台所には、いろんな仕事がバルカをまちかまへてゐます。なかでも、ジャガイモの皮むきがひと仕事です。バルカは目がちら/\して、ナイフをすべりおとしました。すると、両そでをたくしあげた、体のがんじようなおかみさんが、頭がわれるやうにどな
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