ッこみました。
「きみ、なんにももらはなかつたの?」
 男の子は、はじめて、うん、といふやうにうなづきました。
「お母さまに、何かちようだいッて、なぜ言はなかつたの?」
「言つた。」
「言つたのに下さらなかつたの?」
「うちには何にもないんだよ。」
 あはゝ、それはうそ[#「うそ」に傍点]だ。どこの家《うち》にだつて、お居間にも、廊下や、だいどころのお戸だなにも、おいしいものがどつさりしまつてあるんだもの。この子はうそつきだ。さうでなく、きつと、何かわるいことをしたばつに、お母さまが何にもありませんとおつしやつたのにちがひない。
「きみ、何かとつて食べた、だまつて? おぎようぎがわるかつた? きみのとこへ来る先生をおこらした? でなければ、お話がうまく言へなかつたんだらう? ちがふ? ぢやァ、なぜ、なんにも食べなかつたのさ。――家《うち》になんにもない? そんならおなかゞすいてる? さつき、さういへば、ぼく、パンをすこし上げたんだけど。ぼくは、おなかなんかすいてないんだから。――でももうすつかりたべちやつたんだもの、ね。」
 男の子は、だから、もうしかたがないといふやうに、うなづきました。坊やのいふことがよくわかつたのでした。


    二

 トゥロットは、しばらくかんがへてゐましたが、しまひにむつかしい問ひをかけました。
「ぢやァ、なぜお家《うち》になんにもなかつたの?」
「とうちやんは、もうからねえんだよ。母ちやんと、小ちやい子は、びようきなんだもの。だから食へねえんだ。」
 ぷふゥ。食へねえんだつて、何て下等な言葉でせう。トゥロットは、げびたうちの子とお話をしてはいけないのでした。だから、ほんとは、もうさつさと、あつちへいつてしまはなければならないのです。だけども、もつと、ちやんとわかるまで聞いて見たくてたまりません。
「なぜ、お父さまは、おいしいものを買つて来いと言ひつけないの?」
「お金がねえんだ。」
「では伝票にすればいゝぢやないの?」
 おうちのばあやは、お金をもたないでも買物をして来ます。そしてお母さまの伝票にかきこみます。
 男の子は、また顔をふつて、手の指の間から砂を流しはじめました。トゥロットは、それこそ、こはくなるくらゐふしぎでした。何のわるいこともしない子に、お母さまが何にも下さらないつてことがあるでせうか。神さまはそれを見て何とおつしやるでせう。そんな、らんぼうなことがあるでせうか。
「では、きみのお父さまは、きみにまいにちパンを下さるやうに神さまにおいのりをしないの?」
 男の子は何のことかわからないやうな顔をしてゐるので、トゥロットは、もう一ぺん、聞きかへしました。
「しねえ。」
 トゥロットは、ほつとため息をしました。だからわかつた。おいのりをしないんだもの。それぢやだめだよ。
「ね、神さまのこと、一ぺんも話して下さらないの、お父さまは。」
「うん。神さまなんて、あるもんかいッて、おこるとさういふよ。」
 何の意味か、トゥロットにはわかりませんが、何だか、それは、いゝおいのりではなささうにおもはれます。
「ぢや、きみは、何と言つて、おいのりをするの?」
 男の子は、うす気味のわるい笑ひかたをするだけで返事をしません。
「ねえ。何ておいのりを上げるの?」
 男の子は、やつばり、ばかにするやうに笑ひながら、
「神さまなんてものァ、うそつぱちだよ。」
と言ひました。トゥロットは、あつけにとられて、言葉も出ませんでした。神さまのことを、うそつぱちだなんて。ぼくがまいばんお母さまにをそはるとほりを言つて、おいのりをするあの神さまのことを。――遠くの海の中を航海していらつしやるお父さまに、おかはりがないやうにと、ぼくはまいばんおいのりをするんぢやないか。その神さまが、うそッぱち? トゥロットは、くわッと血が顔中へ上つて来ると一しよに、シャベルをふり上げて、ごつんと男の子の頭をなぐりつけました。男の子は、びつくりして、ひぢで顔をかばひながら、横目でにらみつけました。でも、それきりで、べつに食つてかゝつて来ようともしません。
「きみはわるい子だよ。不信者だよ。」
トゥロットは、もう、こんな子どもと口を利いてはいけないとおもつて、おうちへかへらうとして三足もふみ出しました。
 しかし、あの子が何にも食べないといふのは、かはいさうです。だから、おいのりのことを、ちやんと、をしへておいてやらなければならないと、おもひなほして、またひきかへしました。
「きみ、神さまにおいのりをすれば、何でもして下さるんだよ。こんばん、おねんねをするまへにおいのりをしてごらんよ。あすの朝、大きな三日月パンを下さいましつて。さうすれば、きつと下さるんだよ。ね。ね。」
「三日月パンがどこへ出る?」
「それは、どこにでもさ。テイブルの上
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