ました。
 トゥロットは穴の中に手を入れて見ました。それから、のぞいて見ました。そして、ぞくりとして青くなりました。なんにもはいつてはゐません。もう一ど、よくのぞいて見ました。どうしたんでせう。神さまは、きつと、ほかのところへおおきになつたのでせう。
 トゥロットは、そこいら中を見まはしました。ほかの岩の下の穴をものぞいて見ました。でも、どこにもありません。一たいどうしたわけでせう。今にあの男の子が出て来ます。そして何にもみつからなかつたら、それごらん、神さまなんてうそつぱちぢやないかといふにちがひありません。トゥロットのことをだつて、うそつきだといふでせう。それにあの子は、あんなにおなかをすかしてゐるのですから、かはいさうです。
「あゝァ。」
 トゥロットは、かなしさがこみ上げて来ました。神さまは、けさはいそがしかつたのか、それともおわすれになつたのにちがひありません。でなくば、パンがこげてゐたからでせう。おうちでも一どそんなことがありました。だつて、こげたのでもいゝから一つ下さればいゝものを。
 トゥロットは、がつかりしました。
 と、あの子がやつて来ました。にこ/\した顔をして、舌なめずりをしながら、大またにあるいて、ずん/\岩の方へ向つて来ます。トゥロットはこちちから見てゐると、両足がぶる/\ふるへ出して来ました。身も心もちゞみ上るやうです。出来るならにげ出してしまひたいくらゐです。
「あゝァ。」と、もじ/\しながら、トゥロットは両手をポケットにつッこみました。あゝ、いゝことがある。トゥロットはポケットの三日月パンをとり出して、すばやく穴のおくにおしこみました。
 男の子は砂の上にすわりこんで、もぐ/\息もつまるばかりに、ほうばつて食べました。トゥロットはそれをじつと見てゐました。今、じぶんの小さな胃袋は、まい朝のやうにふくらんでゐないのがはつきりわかります。じぶんのあさごはんだつたものが、見る/\きえていくのを見つめてゐると、すこしばかりは、をしくないでもありません。しかし、これでじぶんは、人にかるはずみなことを言つたつぐなひを、ちやんとつけたことになります。それだけは神さまも見て下さるだらうとおもふと、やつぱり、ゆかいでした。
 男の子は、すつかり食べてしまひました。
「パン、おいしかつた?」
「うん。でも神さまがもつて来たんぢやねえぞ。おれ、おめえが穴の中へつッこむのを見たぞ。」
 トゥロットは、まつ赤《か》な顔になりました。まつたくそれにちがひないので、いひぬけをすることも出来ません。しかし、トゥロットの顔は、ふいにかゞやいて来ました。そしてにこ/\いさんで言ひました。
「でもさ、ぼくに、パンを入れとけとおつしやつたのは神さまだよ。きつとさうだよ。」
 トゥロットは、ぺこ/\のおなかをして、おうちへかへりました。でもお顔はとてもはれ/″\して、いかにもうれしさうでした。



底本:「日本児童文学大系 第一〇巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「鈴木三重吉童話全集 第五巻」文泉堂書店
   1975(昭和50)年9月
初出:「赤い鳥」赤い鳥社
   1929(昭和4)年2月
入力:tatsuki
校正:伊藤時也
2006年7月19日作成
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