りました。ギンはもうあきらめて家へかえろうともしました。
 するとちょうどそこへ、夕日をうけた水の下から女の人がやっと出て来ました。見ると昨日よりも、もっともっとうつくしい人になっていました。ギンは、うれしさのあまりに口がきけなくて、だまってパン粉のこねたのをさし出しました。すると女はやっぱり顔をふって、
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「しめったパンをもった人よ、
 私《あたし》はあなたのところへはいきたくはありません。」
[#ここで字下げ終わり]
 こう言って、やさしくほほえんだと思うと、またそれなり水の下へかくれてしまいました。ギンはしかたなしにとぼとぼお家へかえりました。
 母親はその話を聞くと、
「それではかたいパンもやわらかいパンもいやだというのだから、今度は半焼《はんやき》にしたのをもっていってごらんよ。」と言いました。
 その晩ギンはちっとも寝ないで、夜《よ》が明けるのをまっていました。そしてやっとのこと空があかるくなると、いそいで湖水へ出ていきました。すると、間《ま》もなく雨がふって来ました。ギンはびっしょりになったまま、また夕方まで立っていました。けれども女の人はちょっとも出て来ません。しまいにはだんだんと湖水も暗くなって来ました。ギンはがっかりして、もうお家《うち》へかえろうと思いました。すると、ふいに一《ひ》とむれの牛が湖水の中からうき上って、のこのことこちらへ向って歩いて来ました。
 ギンはそれを見て、ひょっとすると、あの牛の後《うしろ》から湖水の女が出て来るのではないかと思いながら、じっと見ていますと、ちゃんとそのとおりに、間もなく女の人も出て来ました。そして昨日よりもまたもっとうつくしい人になっていました。ギンはいきなりざぶりと水の中へ飛び下りてむかいにいきました。
 女は今日《きょう》はギンがさし出したパンを、ほほえみながらうけとって、ギンと一しょに岸へ上《あが》りました。ギンはそのときに、女の右の靴《くつ》のひものむすびかたが、左のとちがっているのをちらと目にとめました。ギンは、ようやく口をきいて、
「私《わたし》はあなたが大好きです。どうか私の家の人になって下さい。」とたのみました。しかし女の人はよういに聞き入れてくれませんでした。ギンは言葉をつくして、いくども/\たのみました。すると湖水の女はしまいにやっと承知して、
「それではあなたの
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