」に傍点]は、とくに長いくちばしをもつてゐます。すべて蚊は人間の血をすふのはめすだけで、をすは人間にとまつても血はすひません。
マラリアの病原菌は或《ある》小さな微生物にとりついて、それを寄生主にして生きてゐるもので、その寄生主がハマダラ蚊のからだの中に住んでゐるといふことを、ロッス少佐が根気づよい顕微鏡検査で見つけ出したのです。そのマラリア蚊が人間の血をすふときに、病菌がくちばしからつたはつて人間の血管の中にはいつてどん/\繁殖し、俗におこり[#「おこり」に傍点]といふ、一定の時間をおいては、ひどい熱の出る苦しい病気を出させるのです。ロッス少佐のその発見については、永い苦心談もあるのですが、それはわづらはしいのでひかへます。
ところが、ふしぎなことに、たま/\この発見が報告されたぢきあとで、米西《べいせい》戦争でキュバ島に出征中のアメリカの軍医のリードといふ人が、黄色熱について、それがやはりステゴミイアといふ一種の蚊からつたはることを発見しました。その病菌が、どんな生物に寄生して蚊のからだの中にはいるのか、それは、今もつてわからないのですが、ともかくステゴミイアをさへ避けまたは殺しつくせば、黄色熱を根絶させ得ることがわかつたのですから、それだけでも、人間の幸福の上に重大な意味をもつてゐるのはいふまでもありません。
リード氏は四五人の同僚と一しよに、病気の調査にキュバへ出張してゐたのですが、その中の一人のラヂーアといふ人は、その島でなくなりました。そこでリード氏は、じぶんたちの研究をつゞけてゐる建物に、ラヂーア廠舎《しやうしや》といふ名をつけて、死んだ同僚の記念にしてゐました。
リード氏は、ステゴミイアが黄色熱を媒介するといふことを見出《みいだ》したとき、それをじつさいに人間について実験する必要が生じ、だれか二人、ぎせい的にステゴミイアにさゝれて見てくれるものはないかと、ためしに兵士たちに相談をもちかけました。リード氏は、と言つたところでそれは、しよせん不可能なことゝおもひながら、研究上の慾望《よくばう》から、なかばじようだんに言つたのですが、はからずも二人のわかい下級の兵卒が、私《わたし》たちが試験体になりますと勇敢に申し出ました。リード氏はよろこんで、では、あとでどつさりほうびのお金をもらつて上げるぞと勇み立ちますと、二人はそれを聞いて、急にその場を下《さが》りかけました。私たちは、そんなきたない考《かんがへ》から出立したのではありません、金なぞは一さいもらはない条件ならばおひきうけしますと、二人はふりかへつて言ひました。リード氏は、顔を赤らめて直立し、帽子をぬいで、
「紳士《しんし》たちよ、私《わたし》は二人にお礼をいひます。」と言つて頭を下げました。兵卒のことは、だれでも、たゞ、「マン」と言つて「ゼントルマン」とは言はないのです。この二人の勇者のぎせいのおかげでリード氏の研究がすつかりたしかめられたのです。二人とも、そのために死んだかどうか、そこははつきりしてゐませんが、要するに、人間全たいのためには、神さまにひとしい、りつぱな救ひ手であつたと言はなければなりません。
三
で、お話は運河にかへりますが、アメリカ政府はフランスの技師が失敗したあと、最後に自国のゴーガスといふ大佐を総指揮者に任命し、はじめに、三万人の従業者をつのり、ついで四万人を増し、しまひには五万人もふやして、開さくにあたらせました。ゴーガス大佐は、もと/\医者出の人でしたので、今言つたロッス少佐やリード氏の発見からをしへられた以上、もう、こんどは根本に工夫たちの中からマラリアや黄熱病の患者は一人も出さない計画をたてました。つまり同地方からすべての蚊を一ぴきのこさずほろぼしつくせば、いふことはないのです。
運河の工事の全線は四十八マイルですが、大佐はその両側面五マイルづゝ、つまり長さ四十八マイル幅十マイルの地帯、面積にして四百八十平方マイルの地域内の、あらゆるくさつた水たまりやどぶを干しかわかし、湖水のたまり水をどん/\海にはかし、流しほせない沼なぞには、どつさり石油を流しこんで蚊の発生をふせぎにかゝりました。いふまでもなく、蚊はきたない水の中に卵をうむのです。石油を流すと、それが卵からかへ[#「かへ」に傍点]つた幼虫の呼吸器の中にはいり、いきがつまつて死んでしまふわけです。
リード氏はこの大地帯の中に工夫たちのかたまつてゐる村を四十か所に作りました。そして、そのすべての家々には、窓へすつかり金網を張らせ、水のはいつてゐるものには一々ふたをさせました。それから工夫たちをはこぶ列車にもこと/″\く金網をはらせました。それと同時に、各村ごとに健康診断をしてまはる医者隊、こはれた窓や金網のやぶれをなほしてあるく隊、たまり水へ石油をま
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
鈴木 三重吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング