といふ実例もあります。千九百四年にはインドだけでもマラリアで百万人もの死人を出しました。
中でもパナマ地方は、雨の多いところなので、沼や流れが多い上に、大木の森林がひろがりつゞいてをり、草なぞも、おそろしくのびしげるのでもつて、いたるところにくさり水がたまるので、蚊のゐることゝ言つたら、たいへんなものでした。そんなわけですから、運河の大西洋口の起点の近くにあるコロンといふ町について言つても、そのころ人口一万ぐらゐだつたその町に、墓の数が十五万もあつたのですからおどろきます。或《ある》ときパナマに駐在してゐるフランスの領事が、ルッセの部下の機械技師に服を買つてとゞけてやり、あすそれを着て午餐会《ごさんくわい》に出てお出《い》でとつたへたところ、技師はその日の中《うち》に黄色熱にかゝり、朝の三時にはもう死んでゐたといふ哀話ものこつてゐます。
マラリアは、むかしイタリヤでもひどくはやつたもので、あの強大なローマ帝国がほろびたのも一つはこの病気が多くの人を殺したからだと言はれてゐます。マラリアは蚊が媒介するのだといふことは、すでに千四百年もまへに何かの本に出てゐるとも言ひ、少くとも今から七十三年前に、早くそれを主張した医者がゐたのですが、だれもそれを信用せず、方々の流行地では、ともかく、人間から人間へうつるのだといふので、病人の着てゐたものや、もちものをはじめ、船に患者が出ると積み荷をまですつかり海へなげすてたといひますから、その損害だけでも、どれだけに上つてゐるか計箪も出来ないでせう。パナマ地方で、工夫についてゐたフランス人の医者たちは、黄色熱の患者たちの寝台へ、虫なぞがはひ上《あが》るのをふせぐために、寝台の足を、一々、水を入れた金物|碗《わん》の中へつけてゐたといひます。これではその病人の血をすつてほかの人へうつす蚊を、その病人のそばで飼ひふやしてゐたわけでした。
二
このおそろしいマラリアの病原菌はアノフェレスといふ一種の蚊がつたへるのだとわかつたのは今から二十七八年まへのことで、インドの英国軍隊についてゐたロナルド・ロッスといふ軍医少佐が発見したのです。アノフェレスは、ハマダラ蚊ともよばれ、羽根に黒いまだらがたくさんあつてとまるのにも、普通の蚊がおしりを下につけるのと反対に、おしりを上げてとまりますからすぐ区別がつきます。この蚊のめす[#「めす
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