。
「おい、何しに来た。この上わしに何を要求しようといふのだ。」とイワンは、むつとして言ひました。
「いけ。いかないと守衛をよぶぞ。」
かう言ひますと、マカールは、イワンのからだの上へこゞまるやうにして、
「おい、どうぞゆるしてくれよ。」と小さな声で言ひました。
「おまいに何を許すのだ。」
「おれはほんとうに悪ものだ。あの商人を殺して、ナイフをおまいの袋の中へ入れこんだのは、このおれだよ。あのとき、おれはおまいをも殺さうとしたのだ。ところが外で物音がし出したので、ナイフをおまいの袋の中へつッこんで窓からにげ出したんだよ。」
イワンは頭をぐわんとなぐられでもしたやうに、ぼうとなつて言葉も出ませんでした。するとマカールはたなからすべり下りて、床板の下に両ひざをつきながら、
「このとほりあやまる。どうぞ許してくれ。神さまのためだと思つて、おれの罪を許してくれ。おれは、あの商人を殺したことを名乗つて出るつもりだよ。さうすればおまいも許されて故郷へかへれる。そのかはりどうか、これまでおまいを苦しめたことだけは許してくれ。おいイワン、ほんとうに許しておくれ。」
「ふゝん、口だけであやまるのはぞうさもないことだ。だけれど、まあ考へて見ろ。わしはおまいのおかげで、今日まで二十六年の間苦しい目を見て来たんだよ。今になつてかへると言つてどこへかへるのだ。わしのにようぼはもう死んでしまつた。小さいときに分れた子ども二人は、もうわしの顔もおぼえてはゐない。わしはかへらうつたつて、かへるところはないよ。」
イワンは、やつと気をおちつけてかう言ひました。マカールは、そのまゝひざをついたきり、いつまでも立ち上らうともしません。しまひには、とう/\床板へ頭をすりつけて、
「まつたくすまないことをした。許してくれ。おれは牢屋《らうや》へはいつてびし/\ぶたれたときでもこれほど苦しくは思はなかつた。かうしておまいのまへにすわつたこの心もちは、むちでぶたれるよりもまだつらいのだ。おれはつく/″\恥ぢ入つてゐる。おまいはおれをあはれんで、穴のことを言はないでくれた。イワンよ、おれはわるものだつた。どうぞ許してくれ。神さまのおためだと思つて許してくれ。」
マカールはかう言ひ/\、とう/\しやくり上げて泣き出しました。イワンは、マカールの泣く声を聞くと、じぶんもひとりでに、しく/\と泣けて来ました。
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