、手の中のかたつむりを見つめました。足でつぶす……ふう、このから[#「から」に傍点]が、ぐしやりとなるのをかんがへるだけでも、こいつの肉が、くつの底でぐちや/\になるのをかんがへるだけでも、むねがわるくなつて来ます。あゝ、井戸の中へなげこまうかしら。さうだ。その方がよつぽどましだ。


    二

 トゥロットはさうしようときめかけました。しかし、それも何だか気がひけます。だつて、あはれなこのかたつむりは、何もわるいことをしたわけではありません。こいつは植物の葉なぞの上をうごいて、日光をあびて、ぐるりと一まはりして来て、お食事をするのがたのしみなのです。きつとさうです、でも、バラを食べる。バラに害をする。やつぱり、ばつしてやらなければいけない。
 しかし、だれだつてものを食べます。このかたつむりだつて、バラの上をはひまはつてゐるのは悪気があつてではありません。おなかゞすいてゐるからです。からだをやしなはなければならないからです。それをばつしるといふのはひどいやうです。
 でも人は、を[#「を」に傍点]牛や羊や小羊を殺します。あんなに、かなしい声でなく、かはいさうな小羊をも殺します。たのしいうたをうたふ森の鳥をでもころします。そんなものたちこそ、かたつむりなんかより、よつぽどおもしろい動物で、そして、わるぎなんてものはちつとももつてはゐません。それでも人はそれをみんな殺すのです。だから、このかたつむりだつて……
 トゥロットはなげつけて足でふみつぶさうとして、手をふりあげました。でも、やつぱり手をおろしました。手の中にはから[#「から」に傍点]をにぎつてゐるのです。
 さうだ、人はよくどんな動物でも殺すけれど、それは食べるために殺すのだ。人間のためにいるから殺すのだ。せんにお父さまは、よそのいたづらつ子が、ぱちんこ[#「ぱちんこ」に傍点]で小鳥をうちおとしたときに、その子の耳をおひつぱりになつたことがある。お父さまは、たいそうおおこりになつた。でも小鳥はくだものをつッつきます。羊だつて牛だつて草をたべたり、きれいな花をむしつて食べたりします。いつかもめ[#「め」に傍点]牛が、一どにマーガレットの花を五十ばかりもひつこぬいたことがあります。しかし、そのくらゐのことでその牛を殺していゝかしら。
 トゥロットは、あゝでもない、かうでもないと、こねくりかへしてかんがへたあげく、どうにも、とりとめがつかなくなつてきました。すこし泣きたくもなりました。そして、つまるところ、このかたつむりをふみつぶすといふことは、大きな罪ををかすやうな気がしてなりません。しかし、こいつを、このまゝにしておけば、バラの木がいためられるのです。あゝあ、どうしたらいゝだらうと、トゥロットは、ひどくこまつて頭がぼうとなりかけました。
 でも、かういふことだけは、ぼんやりなりにも言へるやうです。羊を殺すのはわるい。しかし食べるためになら殺してもわるくはない。かたつむりをころすのはわるい。でも食べ……
 トゥロットは、びつくりして、じつと手の中のかたつむりをながめました。おゝいやだ。そんなことは、とても出来つこはない。おゝ、いやだ/\。
 ミスはとほくから、あざけるやうなようすをして見てゐます。トゥロットがどう結末をつけるかと、ひざの上にごほんをのせて、そり身になつて見てゐるのです。


    三

 そのミスが、ふいに、針にでもつきさゝれたやうに、とび上り、かなきりごゑをはり上げて、ご本をすつとばしてとんで来ました。
 トゥロットは、かたつむりを手でぐいと、のどのおくにおしこんだのです。そして、目をつぶつてのみこんでしまつたのです。
「まあ、とんでもない。……ばかなことを。……どうしてそんなむちやをするのです。ほんとにあきれた。なんておそろしいことをするのです。」
 ミスはひつくりかへるほどびつくりして、お部屋へかへつても、フランス語とイギリス語を、ごつちやに、くちびるの上でぶつけ合せました。トゥロットは平気で、にはか雨が来たのを、けろんとして見てゐました。
 しかし、じつをいふと、胃ぶくろの中がどうなるか、それがすこし気がゝりでした。いやにグウグウと、へんな音がします。きつとかたつむりが、のそ/\歩いてゐるのにちがひありません。かうおもふとすこし胸がむかついて来ました。
 でも、まあそれだけのことです。かたつむりはどうせ消化されてしまふでせう。
 そこでトゥロットは、雨があがると、またお庭へ出ました。そして、まへよりももつとふかい愛情をもつてバラを見入りました。あはれなかたつむりを、むごたらしくふみつぶしもせず、そしてこのうつくしいバラをも、すつかり保護してやつたことが、トゥロットにはとても/\とくいでした。



底本:「日本児童文学大系 第一〇巻」ほるぷ出版
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