催して來る時刻が來た。昨日は、駄目になつた日の入りの景色が、今日は中日《チユウニチ》にも劣るまいと思はれる華やかさで輝いた。横佩家の人々の心は、再重くなつて居た。

        八

奈良の都には、まだ時をり、石城《シキ》と謂はれた石垣を殘して居る家の、見かけられた頃である。度々の太政官符《ダイジヤウグワンプ》で、其を家の周《マハ》りに造ることが、禁ぜられて來た。今では、宮廷より外には、石城《シキ》を完全にとり※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]した豪族の家などは、よく/\の地方でない限りは、見つからなくなつて居る筈なのである。
其に一つは、宮廷の御在所が、御一代々々々に替つて居た千數百年の歴史の後に、飛鳥《アスカ》の都は、宮殿の位置こそ、數町の間をあちこちせられたが、おなじ山河一帶の内にあつた。其で凡、都遷しのなかつた形になつたので、後《アト》から/\地割りが出來て、相應な都城《トジヤウ》の姿は備へて行つた。其數朝の間に、舊族の屋敷は、段々、家構へが整うて來た。
葛城に、元のまゝの家を持つて居て、都と共に一代ぎりの、屋敷を構へて居た蘇我臣《ソガノオミ》なども、飛鳥の都では、次第に家作りを擴げて行つて、石城《シキ》なども高く、幾重にもとり※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]して、凡永久の館作りをした。其とおなじ樣な氣持ちから、どの氏でも、大なり小なり、さうした石城《シキ》づくりの屋敷を、構へるやうになつて行つた。
蘇我臣|一流《ヒトナガ》れで最榮えた島の大臣家《オトヾケ》の亡びた時分から、石城の構へは禁《ト》められ出した。
この國のはじまり、天から授けられたと言ふ、宮廷に傳はる神の御詞《ミコトバ》に背く者は、今もなかつた。が、書いた物の力は、其が、どのやうに由緒のあるものでも、其ほどの威力を感じるに到らぬ時代がまだ續いて居た。
其飛鳥の都も、高天原廣野姫尊樣《タカマノハラヒロヌヒメノミコトサマ》の思召しで、其から一里北の藤井个原に遷され、藤原の都と名を替へて、新しい唐樣《モロコシヤウ》の端正《キラヽヽ》しさを盡した宮殿が、建ち竝ぶ樣になつた。近い飛鳥から、新渡來《イマキ》の高麗馬《コマ》に跨つて、馬上で通ふ風流士《タハレヲ》もあるにはあつたが、多くはやはり、鷺栖《サギス》の阪の北、香具山の麓から西へ、新しく地割りせられた京城《ケイジヤウ》の坊々《マチ
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