ソ止まると、遠くから様子を眺めていた。彼は何もかも見てしまったのだ、キリストの足もとへおろされて女の子がよみがえったのを見たのだ、そして彼の顔は暗くなった。その白い濃い眉はひそめられ、眼は不吉な火花を散らし始めた。彼はその指を伸ばして、警護の士に向かい、かの者を召し取れと命令した。彼はそれほどの権力を持ち、群集はあくまでも従順にしつけられ、戦々恐々として彼の命に服することに慣らされていたので、さっと警護の者に通路をあけた。そして、急にしいん[#「しいん」に傍点]と墓場のように静まり返った沈黙の中で警護の者はキリストに手をかけて引き立てて行く。群集はまるでただ一人の人間のように、いっせいに土下座せぬばかりに老審問官の前にひれ伏す。彼は無言のまま一同を祝福しつつ通り過ぎて行く。警護の者は囚人《めしうど》を神聖裁判所の古い建物内にある、陰気で狭苦しい丸天井の牢屋へ引きたてて来ると、その中へ監禁してしまった。その日も暮れて、暗くて暑い、『死せるがごとき』セヴィリヤの夜が訪れた。空気は『月桂樹とレモンの香に匂《にお》って』いる。深い闇の中で、不意に牢獄の鉄扉があいて、老大審問官が手に明かりを持って、そろそろと牢屋の中へはいって来た。彼はたった一人きりで、扉はすぐに閉ざされた。彼は入口に立ち止まると、しばらくのあいだ、一分か二分、じっとキリストの顔に見入っていた。とうとう静かにそばへ近寄って、明かりをテーブルの上に載せると、口をきった。『そこに御座るのはキリストかな? キリストかな?』しかしなんの答えもないので、すぐにまたつけ足した、『返事はしないがいい。黙っておるがいい。それにおまえは何を言うことができよう? わたしにはおまえの言うことがわかりすぎるくらいわかっているのだ。それにおまえは、もう昔、言ってしまったことよりほかには何一つ言い足す権利も持っていないのだ。それにしても、なぜおまえはわしらの邪魔をしに来たのだ? おまえはわしらの邪魔をしに来たのだ。それはおまえにもわかっておるはずだ。しかし、おまえが明日どんなことが起こるか知っておるかな? わしはおまえが何者かは知らぬ、また知りたくもない。おまえは本当のキリストか、それとも贋物《にせもの》か、そんなことはどうでもよい、とにかく、明日はおまえを裁判して、邪教徒の極悪人として火烙り《ひあぶ》りにしてしまうのだ。すると今日おまえの足を接吻した民衆が、明日は、わしがちょっと合い図をしさえすれば、おまえを焼く火の中へ、われ勝ちに炭を掻《か》きこむことだろう、おまえはそれを知っておるのか? おそらく知っていられるであろうな』と彼は片時も囚人《めしうど》から眼を離そうとしないで、考えこむような風に、こう言い足したのだ」
「僕にはなんのことだかよくわかりませんよ、兄さん、いったいそれは何のことです?」ずっと黙って聞いていたアリョーシャは、ほほえみながら、こう尋ねた、「それはただでたらめな妄想《もうそう》なんですか、それとも何か老人の考え違いなんですか。なんだか本当にはなさそうな、qui pro quo(矛盾)じゃありませんか」
「じゃ、そうしておくさ」とイワンは笑いだした、「もしも、おまえが現代のリアリズムに心酔していて、幻想的なことには全然我慢することができないで、それを qui pro quo と考えたいというんなら、まあ、そんなことにしといてもいいよ、ほんとに」と彼はまた笑った、「その老人はもう九十という年なんだから、いいかげんにもう気ちがいじみた観念になっているかもしれない。それに囚人の風貌だって老人の心を打ったはずだからな。いや、ことによったら、それは九十になる老人の臨終《いまわ》のきわのうわごとかもしれない。幻想かもしれない。おまけに昨日火刑場で百人からの異教徒を焼き殺したため、まだ気が立ってるのかもしれないよ、しかし、僕にとっても、おまえにとっても、qui pro quo だろうが、でたらめな妄想だろうが、それはどうせ同じことじゃないかな、要するに、老人は自分の腹の中を、すっかり吐き出してしまいたかっただけの話だ。九十年のあいだ、だまって腹の中にしまっていたことを、すっかり吐き出してしまいたかっただけの話さ」
「で、囚人はやっぱり黙っているんですか? 相手の顔を見つめながら、一言も口をきかないのですか?」
「そりゃあ、そうなくっちゃならないよ、どんな場合でもね」と、イワンはまた笑いだした、「老人は自分から、キリストは昔言ってしまったこと以外には、何一つ言い足す権利を持っていないと断言しているじゃないか。なんなら、その中にローマン・カトリックの最も根本的な本質が含まれているといってもいいくらいだ、少なくとも僕の意見ではね。『もうおまえはいっさいのことを法王に任せてしまったのじゃないか、今はいっさいが法王の手に握られているのだ、だから、今ごろになって、のこのこ出て来ることだって、よしてもらいたいものだ、少なくとも、ある時期までは邪魔をしてもらいたくはない』と、こう言うのさ。こんな意味のことを少なくともエズイタ派の連中は、口で言うばかりではなく、本にまで書いているのだよ。僕は自分でもこの派の神学者の書いたものを読んだことがある。『いったいおまえは、自分が出て来たあの世の秘密を、たとい一つでもわれわれに伝える権利をもっておるのか?』と大審問官はキリストに尋ねておいて、すぐ自分で彼に代わって答えたのだ、『いや、少しも、もっていない。それはおまえが前に言ったことばに、何一つつけ足すことができないためだ。それは、おまえがまだこの地上におったころ、あれほど主張した自由を、人間から奪わないためだ。おまえが、今新しく伝えようとしていることは、すべて人民の信仰の自由を犯すものだ。なぜならば、それは奇跡として現われるから。しかも、人民の自由は、まだあのころから、千五百年も前から、おまえにとっては何より大切なものだったではないか、あの当時、※[#始め二重括弧、1−2−54]われなんじらを自由にせん※[#終わり二重括弧、1−2−55]と、よく言っていたのはおまえではなかったか、ところが今、おまえは彼らの※[#始め二重括弧、1−2−54]自由な※[#終わり二重括弧、1−2−55]姿を見たのではないのか』と、物思わしげな薄ら笑いを浮かべながら、老人は急にこう言い足したのだ、『ああ、この事業はわれわれにとって高価なものについた』いかめしい眼眸《まなざし》で相手を見つめながら、彼はことばを続けて、『だが、今われわれはおまえの名によってこの事業を完成した。十五世紀のあいだ、われわれはこの自由のために苦しんできたが、やっと今は完成した。立派に完成した、おまえは立派に完成したといっても本当にはしないだろうな? おまえはつつましやかにわしを見つめたまま、憤慨するのもおとなげないというような顔をしておる、しかし、人民は今、いつにもまして、現に今、自分たちが完全に自分になったと信じておるのだ。しかも、その自由を、彼らはみずから進んでわれわれに捧げてくれた。そして、ねんごろにわれわれの足もとへそれを置いてくれたのだ。けれど、それを成し遂げたのはわれわれなのだ。そしておまえが望んだのはこんなことではなかったのかい、こんな自分ではなかったのか』と言ったのだ」
「僕は、またわからなくなりましたよ」とアリョーシャがさえぎった、「老人は皮肉を言ってるんですか、あざけっているんですか?」
「けっしてそうじゃないんだ、彼はついに自由を征服して、人民を幸福にしてやったのを、自分や仲間の者の手柄だと思っているのさ。『なぜなら、今(もちろん、彼は審問のことを言ってるんだよ)、はじめて人間の幸福を考えることができるようになったからだ。人間はもともと反逆者にできあがっておるのだが、反逆者が幸福になると思うか? おまえはよく警告を受けた――と彼はキリストに向かって言ったのだよ――おまえは注意や警告を飽くほど聞かされながら、それに耳をかさないで、人間を幸福にすることのできる唯一の方法をしりぞけてしまったではないか。しかし、仕合わせにも、おまえがこの世を去るときに、自分の事業をわれわれに引き渡して行った。おまえはその口から誓って、人間を結びつけたり解いたりする権利をわれわれに授けてくれた。だから、もちろん、今となっては、その権利はわれわれから取りあげるというわけにはいかぬ。なんのためにおまえはわれわれの邪魔をしに来たのだ?』」
「注意や警告を飽くほど受けた、というのはいったい何のことでしょう?」と、アリョーシャは聞いた。
「そこが老人の言おうとした肝心な点なんだよ。」
「『恐ろしくて、しかも賢明なる精霊が』と老人は語り続けるのだ、『自滅と虚無の精霊――偉大なるあの精霊が、荒野でおまえと問答をしたことがあるだろう、書物に書いてあるところでは、それがおまえを※[#始め二重括弧、1−2−54]試みた※[#終わり二重括弧、1−2−55]ことになるのだそうだ。それは本当のことかな? しかし、その精霊が三つの問いの中でおまえに告げて、おまえに否定せられたあの、書物の中で※[#始め二重括弧、1−2−54]試み※[#終わり二重括弧、1−2−55]と呼ばれていることば以上に、より真実なことが何か言い得られるだろう? もしいつかこの地上で、本当に偉大な奇跡が行なわれる時があるとすれば、それこそあの三つの試みの中に奇跡が含まれているのだ。もし仮りにこの恐ろしき精霊の三つの問いが、書物の中から跡かたもなく消失してしまったとして、再びこれを元どおり書物の中へ書き入れるため新たに考案して書き上げねばならなくなったとする。そのために世界の賢人――政治家、長老、学者、哲人、詩人などを呼び集めて、さあ三つの問いをくふうして作り出してくれ、しかし、それは事件の偉大さに適合しているのみならず、ただ三つのことばでもって、三つの人間のことばでもって、世界と人類の未来史をことごとく表現していなくてはならぬ、という問題を提出したとする。そうしたら世界じゅうの知恵を一束にしてみたところで、力と深みにおいて、かの強くて賢い精霊が荒野でおまえに発した、三つの問いに匹敵するようなものを考え出すことがはたしてできるかどうか、それはおまえにだってわかりそうなものではないか? この三つの問いだけから判断しても、その実現の奇跡だけから判断しても、移りゆく人間の知恵でなくて、絶対不滅の英知を向こうに回している、ということがわかるではないか。なぜなら、この三つの問いの中に人間の未来の全歴史が、完全なる一個のものとなって凝結しているうえに、地上における人間性の歴史的矛盾をことごとく包含した、三つの形態が現われているからである。もちろん、未来を測り知ることはできないから、その当時こそ、それはよくわからなかったのだけれど、それから十五世紀を経た今日になってみれば、もはや技き差しならぬほど完全に、この三つの問いの中にいっさいのことが想像されて、予言されて、しかもその予言がことごとく的中していることが、よくわかるではないか。
『いったいどちらが正しいか、自分で考えてみるがよい――おまえ自身か、それともあの時おまえに質問をしたものか? 第一の問いはどうだろう、ことばは違うかもしれぬが、こういう意味だった。※[#始め二重括弧、1−2−54]おまえは世の中へ行こうとしている、しかも自由の約束とやらを持ったきりで、空手で出かけようとしている。しかし生来単純で粗野な人間は、その約束の意味を悟ることができないで、かえって恐れている。なぜなら、人間や人間社会にとって、自由ほど耐えがたいものは他にないからである! このむき出しになって焼け果てた荒野の石を見よ。もしおまえがこの石をパンに変えることができたら、人類は上品で従順な羊の群れのように、おまえの後を追うだろう、そうしておまえが手を引いて、パンをくれなくなりはせぬか、とそのことばかりを気づかって、絶えず戦々恐々としておるに違いないぞ※[#終わり二重括弧、1−2−55]と言った。とこ
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