まいになった、などとだだをこねて、今すぐ天使の位を授けてくだされとせがむのじゃ。じゃによっておまえも喜ぶがよい、泣くことはないのじゃ、おまえの子供はいま神様のおそばで、天使たちといっしょに暮らしているのじゃから』こうその昔、聖人が泣いておる母親を諭《さと》された。それは偉い聖人のことじゃから、間違ったことを言われるはずがない。そなたの子供も今はきっと、神様の御座所の前で遊び戯《たわむ》れながら、そなたのことを神様に祈っておることじゃろう。それじゃによって、そなたも泣かれずに、喜ばねばならんのじゃ」
女は片手で頬杖をつきながら、伏し目になって聞いていた。彼女はほうっとため息をついた。
「それと同じことを言って、ニキートカもわたくしを慰めてくれました。おまえ様のおことばとそっくりそのままでございました。『わけのわからんやつじゃよ、何を泣くことがあるんだ、うちの坊やも今ごろはきっと神様のそばで、天使たちといっしょに歌でもうたっておるにきまっておるよ』配偶《つれあい》はこう言いながら、そのくせ、自分でも泣いておるのでございます。見ると、やっぱりわたくしと同じように、泣いておるのでございますよ。で、わたくしはそう言ってやりました。『おまえさん、それはわしも知っているよ、あの子は神様のそばでなくては、ほかにいるところはありませんさ。けれど、今ここに、わしのそばにはいっしょにおらん、前のようにここに坐ってはおらんだもの!』とね。ほんとに、わたくしはほんの一ぺんきりでも、あれが見とうございます。ほんのちょっとでよいから、あれが見たいのでございますよ。そばへ寄ったり声を掛けたりできなくてもかまいませぬ。あれが以前のように、戸外で遊んでいるところや、こちらへやって来て、あの可愛らしい声で、『母ちゃん、どこにいるの?』って呼ぶのを、どこかの隅に隠れておって、ほんのちらりとでも、見たり聞いたりしとうございます。あの小さい足で部屋の中を歩くのが聞きとうございます。あの小さい足でことことと歩くのを、たった一度でも聞きたい。以前よくわたくしのところへ走って来て、叫んだり笑ったりしましたが、わたくしはたった一度あれの足音が聞きたい、どうしても聞きたいのでございます。けれども神父様、もうあれはおりません、あれの声を聞くときはもうございません! これここにあれの帯がござりますが、あれはもうおりません。もうあれを見ることはできません。あれの声を聞くことはできません……」
彼女はふところから小さな組紐の、わが子の帯を取り出したが、それを一目見ると、両手で顔をおおって、身を震わせながら泣きくずれた。そして不意にほとばしり出た涙は指のあいだを伝って流れるのであった。
「ああそれは」と長老が言った、「それは昔の『ラケルわが子らを思い嘆きて慰むことを得ず。なんとなれば子らは有らざればなり』とあるのと同じじゃ。それがそなたたち母親のために置かれた地上の隔てなのじゃ。ああ慰められぬがよい、慰められることはいらぬ。慰められずに泣くがよい。ただ、泣くたびごとにたゆまず、そなたの息子は神様の御使いの一人となって、天国からそなたを見おろし、そなたの涙を見て喜んで、それを神様に指さしておるということを、忘れぬように思い出すがよい。そなたの母としての大きな嘆きはまだ長く続くけれど、やがてはそれが静かな喜びとなり、その苦い涙も静かな感動の涙と変わって、罪障を払い心を清めるよすがとなるだろう。そなたの子供に回向《えこう》をして進ぜようが、名まえはなんといったのじゃな?」
「アレクセイでございます。神父様」
「よい名まえじゃ。アレクセイ尊者にあやかったのじゃな?」
「尊者でございます、神父様、アレクセイ尊者でございます!」
「それはなんという聖い子じゃ! 回向をして進ぜよう、回向をして進ぜるよ! それからそなたの悲しみも祈祷《きとう》の中に告げてあげようし、配偶《つれあい》の息災も祈ってあげよう。ただ、配偶《つれあい》を捨てておくのはそなたの罪になるのじゃ。帰ってめんどうを見てやりなされ。そなたが父親を見すてたのを天国から見たら、その子はそなたたちのことを思って泣くじゃろう。どうしてそなたは子供の冥福《めいふく》に傷をつけるのじゃ? その子供は生きておるのじゃよ。おお生きておるとも、魂は永久に生きるものじゃもの。家にこそおらねど、見え隠れにおまえがたのそばについておるのじゃ。それなのにそなたが、自分の家を憎むなぞといったら、どうして子供が家へはいって来られよう! おまえがた二人が、父親と母親がいっしょにおらぬとしたら、子供はいったいどっちへ行ったらよいのじゃ? 今そなたは子供の夢に苦しんでおるが、配偶《つれあい》のところへ帰ったなら、子供が穏かな夢を送ってくれるじゃろう。さあ、おっかさん、帰りなされ、今日すぐ帰りなされ」
「帰ります、神父様、おまえ様のおことばに従って帰ります。おまえ様はわたくしの心を見抜いてくだされました。あの愛《いと》しいニキートカ、おまえさんはこのわたしを、待ちかねていさっしゃろうなあ、ニキートカ、さぞ待ちかねていさっしゃろうなあ!」とまたもや女は、愁嘆をくり返しそうになったが、長老はもう別の老婆の方へ向いていた。それは巡礼風ではなく、町の者らしい服装《なり》をしていた。その眼つきから、何か用事があって相談に来たものらしいことが、それとうかがわれた。彼女は遠方から来たのではなく、この町に住んでいる下士の寡婦《やもめ》だと名乗った。息子のワーシェンカというのが、どこか被服廠《ひふくしょう》あたりに勤務していたが、シベリアのイルクーツクへ出向いて、そこから二度手紙をよこしたきり、もうまる一年も便りがない。老婆は問い合わせもしてみたが、正直なところ、どこへ問い合わせたらいいかもわからないのであった。
「ところがつい先ごろ、ステパニーダ・イリイニシナ・ペドリャーギナという、金持ちの商家のお内儀《かみ》さんが、『プローホロヴナ、いっそ息子さんの名まえを過去帳へ書きこんで、お寺様へ持って行ってお経をあげておもらいよ。そうすれば息子さんの魂が悩みだして、きっと手紙をよこすようになるよ。それは現金なもので、これまでもたびたび験《ため》されたことなんだから』って、そうステパニーダさんが言うんですけど、わたしはどうかと存じますんで!……。神父様、いったい本当でございましょうか、そんなことをしてよろしいものでございましょうか?」
「そのようなことは考えることもなりませぬぞ。尋ねるのも恥ずかしいことじゃ。第一、生きておる魂を、それも現在生みの母が供養するなどということが、どうしてできるのじゃ? それは大きな罪で、妖術《ようじゅつ》にも等しいことじゃ。ただ、そなたは何も知らなんだのじゃからぜひもないが。それよりも、すぐに、たれにでも味方をして助けてくださる聖母様にお祈りをして、息子の息災でおりますように、また間違った考えを起こした罪をお許しくださりますようにと、お願いしたがよろしいぞ。それからプローホロヴナ、わしはそなたにこれだけのことを言っておこう。――その息子さんは近いうちに自分で帰って来るか、それとも手紙をよこすに決まっておる。そなたもそのつもりでおるがよい。さあもう安心して帰りなされ、そなたの息子は息災でおるのじゃよ」
「おありがたい長老様、どうかあなた様に神様のお恵みのありますように! ほんにあなた様はわたくしどもの恩人でございます。わたくしども一同のために、またわたくしどもの罪障のために、代わって祈ってくださるおかた様でいらっしゃいます!」
が、長老はもう、自分の方へじっと注がれた、痩せ衰えた肺病やみらしい、まだ若い百姓女の、熱した二つの瞳《ひとみ》を群集の中にみとめていた。彼女が無言のまま、見はっている両眼は、何か願うもののようであったが、彼女はそばへ近づくのを怖《お》じ恐れているような様子だった。
「そなたは何の用で来たのじゃな」
「わたくしの魂を許してくださいませ」低い声でおもむろにこう言いながら、彼女は膝をついて長老の足もとにひれ伏した。
「神父様、わたくしは罪を犯しました、自分の罪が恐ろしゅうございます」
長老はいちばん下の段に腰をおろした。女は膝を突いたまま、そのかたわらへにじり寄った。
「わたくしは寡婦《ごけ》になって三年になります」女はぶるぶると身を震わすようにしながら、ささやき声でこう言った。「わたくしは嫁にいってつらいつらい思いをいたしました。配偶《つれあい》が年寄りで、ひどくわたくしをぶち打擲《ちょうちゃく》いたしましたのでございます。それが病気で寝つきましたとき、わたくしはその顔をつくづくと見ながら思いました、もしこの人が快《よ》くなって起きるようになったらどうしようか? と、そのとき、あの恐ろしい考えが、ふとわたくしの心に浮かんだのでございます!」
「お待ち!」そう言って長老は、耳を女の口の間近へ持って行った。女は低いささやき声で先を続けたので、ほとんど何一つ聞き取ることができなかった。間もなく女は話し終わった。
「三年になるのじゃな?」
「三年目でございます。初めのうちはなんとも思いませなんだが、このごろは、ぶらぶら病《やまい》にかかるほど、気がふさいでまいりました」
「遠方かな?」
「ここから五百|露里《エルスター》でございます」
「懺悔《ざんげ》のとき、話したのじゃな?」
「話しましてございます。二度も懺悔をいたしました」
「聖餐はいただいたかな?」
「いただきました。恐ろしゅうございます。死ぬのが恐ろしゅうございます」
「何も恐れることはない、けっして恐れることはない、くよくよすることもいらぬ。ただそなたが懺悔の心を衰えぬようにしさえすれば、神様は何もかも許してくださるのじゃ。それに、真実心に後悔しておる者を神様が許してくださらぬような、そんな罪業は、けっしてこの世にあるものではない、またあるべきはずもないのじゃ。それにまた、限りない神様の愛をさえ失ってしまうような、そんな大きな罪が犯せるものではない。それとも神様の愛でさえ追っつかぬような罪でもあるというのか? ひたすら怠りなく、懺悔精進して、恐ろしいという心を追いのけるがよい。神様はそなたのとうてい考え及ばぬような愛を持っていらっしゃるぞ、たとえそなたに罪があろうとも、そなたの罪のままに、そなたを愛していらっしゃるということを信じなされ。一人の悔い改むるもののためには、十人の正しきものによってよりも、天国に喜びは増すべけれと、昔から言ってある。さあ帰りなされ、恐れることはない。人の言うことを気にしたり、侮蔑《ぶべつ》に腹を立てたりしてはならぬ。死んだ配偶《つれあい》がそなたをはずかしめたことはいっさい許して、真底から仲なおりをするのじゃ。もし後悔しておるとすれば、つまり愛しておるのじゃ、もし愛しているならば、そなたはもはや神の子じゃ……愛はすべてのものを贖《あがな》い、すべてのものを救う。現にわしのようにそなたと同じく罪深い人間が、そなたの身の上に心を動かして、そなたをあわれんでおるくらいじゃもの、神様はなおのことではないか。愛はまことにこのうえもない宝で、これがあれば世界じゅうを買うこともできる。自分の罪はいうまでもなく、人の罪でさえ贖うことができるのじゃ、さあ帰りなされ、恐れることはない」
彼は女に三度まで十字を切ってやり、自分の首から聖像をはずして、それを女にかけてやった。女は無言のまま地にぬかずいて伏し拝んだ。長老は立ち上がると、乳飲み子を抱いた丈夫そうな一人の女を、機嫌よく眺めるのだった。
「ウィシェゴーリエから参じましたよ」
「それは六露里からあるところを、子供を抱いて、さぞくたびれたじゃろう。何の用じゃな?」
「おまえ様を一目拝みに参じましただ。わしはようおまえ様のところへ参じますだに、お忘れなされましただかね? わしを忘れなされたとすりゃ、あんまり物覚えのええおかたではないとみえるだ。村ではおまえ様がわずらっていなさるちゅうこんだで、ちょっとお見舞いにと思
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