hロヴィッチをみつめながら、スメルジャコフがしっかりした調子で答えた。
馬車がごとんと一つ揺れると、走り出した。旅人の心は朦朧《もうろう》としていたけれど、彼はあたりの野らや、丘や、木立ちや、晴れわたった空を高く飛び過ぎる雁《かり》の群れなどを、むさぼるように見入るのであった。と、急に彼は心がさわやかになった。で、御者に話しかけてみると、その百姓の答えがひどくおもしろいように思われたが、一、二分もたってから考えてみると、それはただ耳もとを通り過ぎただけで、実際のところ、彼は百姓の答えを少しも聞いてはいなかったのである。彼は口をつぐんでしまったが、それでいて非常に好い気持であった。空気は清く澄み、しっとりとしてすがすがしく空は美しく晴れわたっていた。ふとアリョーシャとカテリーナ・イワーノヴナの姿が、彼の頭をかすめたが、彼はただ静かにほほえんだだけで、静かにそのなつかしい幻影を吹き消してしまった。『まだまだあの連中の時代だろうさ』と彼は考えた。駅はただ馬を換えるだけでいちはやく通り過ぎて、ひたすらワロヴィヤをさして急いだ。『なぜ賢い人はちょっと話してもおもしろいんだ? あいつはなんのつもりであんなことを言いおったのだろう?』ふとこんなことを考えた時、彼は息の止まるような思いがした。『しかもおれはなんのために、チェルマーシニャへ行くんだなんて、わざわざやつに報告したんだろう?』やがてワロヴィヤの宿へ着いた。イワン・フョードロヴィッチは馬車から降りると、たちまち御者の群れに包囲された。で、十二|露里《エルスター》の田舎道《いなかみち》を私設の駅逓馬車に乗って、チェルマーシニャへ向けて立つことに決めた。彼は馬をつけるように命じた。彼は駅舎へはいったが、ちょっとあたりを見回して駅長の細君の顔を見ると、急に引っ返して玄関へ出た。
「チェルマーシニャ行きは取りやめだ、おい、七時の汽車には間に合うか?」
「間に合いますよ、馬をつけましょうかな?」
「大至急でつけてくれ、ところで、おまえたちのうちで誰か、明日町へ行くものはないかね?」
「なんで行かんことがあるもんですか、このミートリイが行きますだよ」
「じゃ、ミートリイ、おまえに一つ頼みがあるんだがなあ、おまえおれの親父のフョードル・パーヴロヴィッチ・カラマゾフの家へ寄って、おれがチェルマーシニャへ寄らなかったことをそう言ってくれないか、行ってくれるだろうかね?」
「なんの行かねえことがござりましょう、お寄りいたしますだよ、フョードル・パーヴロヴィッチ様なら、ずっと以前から存じ上げておりますだで」
「じゃ、これが駄賃《だちん》だ、たぶん親爺はよこしゃしないだろうからなあ……」とイワン・フョードロヴィッチは快活に笑いだした。
「へえ、全くくださる気づけえはござりましねえとも」とミートリイも笑いだした。「どうも、旦那、ありがとうございます、ちゃんとお寄り申しますよ」
午後の七時にイワン・フョードロヴィッチは汽車に乗ってモスクワへ向かった。『これまでのことは何もかも消えてなくなれだ、もちろんこれまでの世界も永久に葬り去って、音もさたも聞こえなくしなければならぬ。新しい世界へ行くんだ、新しい土地へ行くんだ、けっして後ろなんかふり返ることじゃない!』
歓喜の代わりに彼の魂は、今までかつて経験したことのない闇に閉ざされ、心は深い悲しみにうずき始めた。彼は夜は夜っぴて、とつおいつ物思いにふけっていたが、列車は遠慮なく走って行った。ようやく夜明けごろ汽車がモスクワの市街へかかったとき、彼は突然われに返った。『おれは悪党だ!』と彼は肚の中でささやいた。
一方フョードル・パーヴロヴィッチは、わが子を送り出してしまうと、非常な満足を感じた。まる二時間ものあいだ彼はみずからを仕合わせ者のように感じて、ちびりちびりとコニャクを傾けたほどである。ところが不意に、すべての家人にとってこのうえもなくいまいましく、このうえもなく不愉快な事件が家内にもちあがって、たちまちフョードル・パーヴロヴィッチの心を混乱に陥れてしまった。スメルジャコフが何かの用で穴蔵へ行って、いちばん上の段から下まで転げ落ちたのである。それでもマルファ・イグナーチエヴナが庭に居合わせて、さっそくその物音を聞きつけたのはまだしも幸いであった。彼女は落ちるところこそ見なかったが、その代わり叫び声を聞きつけたのである。それは一種特別な奇妙な叫び声ではあったが、もうずっと前から聞き覚えのある癲癇《てんかん》持ちが発作を起こして卒倒する時の叫び声であった。彼は階段をおりる途中で発作を起こしたのだろうか? それならば、もちろんそのまま、覚えなしに下まで転げ落ちるのが当然である。それとも反対に、墜落と震盪《しんとう》のために、生来の癲癇持ちであるスメルジャコフにそ
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