ルんのちょっとでも、人類のところへ降ってやろうという御心を起こしたんだよ、暗い罪に陥って、苦しみ悩みながらも幼児のように彼を愛慕している人類のところへさ。僕の作はスペインのセヴィリヤを舞台にとって、神の栄光のために日ごとに国内に炬火《たいまつ》が燃えて、

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華麗なる火刑の庭に
おぞましき異教の者の焼かれたる
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恐ろしい宗教裁判のときのことを扱ったものなんだ。もちろん、このキリスト降臨は、彼がかつて約束したように天国の栄光につつまれて、最後に出現したのとは全然、違っている。けっして、東から西へと輝きわたる、稲妻のような出現ではないんだ、キリストはほんの一瞬間でもいいから、わが子らを訪れてみようと思ったのだ。そして、いたずらに異教の輩《やから》を焼く炬火の爆音のすさまじい土地を選んだわけなのだ。きわまりない慈愛をもったキリストは、十五世紀前に三十三年のあいだ、人類のあいだを歩き回ったときと同じ人間の姿をかりて、もう一度、民衆の中へ現われたのだ。彼は南方の市の『熱き巷《ちまた》』へ降臨したが、それはちょうど、『華麗なる火刑の庭』で、ほとんど百人に近い異教徒が、ad majorem gloriam Dei(神の栄光を大ならしめんがため)国王をはじめ、朝臣や、騎士や、僧正や、艶麗な女官や、その他セヴィリヤの全市民の眼の前で、大審問官の僧正の指揮のもとに、一挙に焼き殺されたあくる日であった、キリストはこっそりと、人知れず姿を現わしたのだが、人々は――不思議なことに、――キリストだとすぐに感づいてしまう、ここが僕の劇詩の中ですぐれた部分の一つなんだ、――つまり、どうして人々がそれを感づくかというところがさ。民衆は不可抗力に引きずられて、彼の方へどっと押し寄せたかと思うと、たちまちにしてそのまわりを取り囲み、しだいに厚い人垣を築きながら、その後ろについて行くのだ。彼は限りない憐憫のほほえみを静かにたたえながら、黙々として群集の中を進んで行く、愛の太陽はその胸に燃え、光明と力とはその眼からほとばしり、その輝きが人々の上に照り渡り、彼らの心はそれにこたえるような愛におののく。キリストは人々の方へ手をさし伸べて祝福を与えたが、その体どころか、着物の端に触れただけで、すべてのものを癒《い》やす力が生ずるのだった。と、その時、幼少からの盲目であった一人の老人が群集の中から、『主よ、わたくしをおなおしくださりませ、さすれば、あなた様を拝むことができまする』と叫んだのだ。と、たちまち眼から鱗《うろこ》でも落ちたように、盲人には主の顔が見えるようになった。民衆は泣きながら、彼の踏んで行く土を接吻する。子供たちは彼の前に花を投げて、歌をうたいながら、『ホザナ!』を叫ぶ。『これはキリスト様だ、キリスト御自身だ』とみんながくり返す。『これはキリスト様に違いない、キリスト様でなくて誰だろう?』彼はふと、セヴィリヤ寺院の入口に立ち止まった。ちょうどその時、蓋《ふた》をしない小さな白い棺《かん》が泣き声に送られて寺院へかつぎこまれるところだった。その棺には、ある有名な市民の一人娘で、七つになる女の子が眠っていた。その幼い死骸は花に埋まっている。『あのおかたが、あなたの子供さんを生き返らせてくださいますぞ』と、悲嘆にくれた母に向かって、群集の中から叫ぶ声が聞こえた。棺を迎えに出た寺僧は、けげんな顔をして眉をひそめながら、それを眺めている。すると、その時、死んだ子供の母のけたたましい叫び声が聞こえる。彼女は、主の足もとへ身を投げて、『もし主キリストでいらっしゃいますならば、この子を生き返らせてくださいませ』と彼の方へ両手を差し伸べながら、叫ぶのだ。葬列は立ち止まって、棺は寺の人口へ――彼の足もとへおろされた。彼は憐憫の眼でそれを見守っていたが、その口は静かに、あの『タリタ・クミ』(少女よ、われなんじに言う、起きよ)をいま一度くり返した。すると、娘は棺の中で起き上がって坐ると、びっくりしたような眼を大きく見開いて、にこにことあたりを見回す。その手には白ばらの花束が握られていたが、それは彼女と共に棺の中へ入れてあったものだ。群集のあいだには動揺と叫喚と嗚咽《おえつ》が起こる。この瞬間、寺院の横の広場を、大審問官である僧正が通りかかる。それはほとんど九十に近い老人で、背の高い腰のしゃんとした人で、顔は痩せこけ眼は落ちくぼんでいるが、その中にはまだ火花のような光がひらめいている。彼の着物は、昨日ローマ教の敵を焼いたときに、人民の前で着ていたような、きらびやかな大僧正の袍衣《ほうい》ではなく、古い粗末な法衣であった。その後ろからは陰気な顔をした補祭や、奴隷や、『神聖な』警護の士などが、かなりの距離をおいて続いていた。僧正は群集の前に立
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