ヌく震え上がったアリョーシャは驚いてこう言った。
「は、は、は! 思いがけなかったかい? おれはどこでおまえを待っていようかと考えてみたんだよ、あの女の家のそばにしようかな? いや、あすこからは、道が三つにわかれているから、もしかするとおまえを見のがすかもしれない、そこで、結局、ここで待ち受けることに決めたんだよ。だって、どうせ修道院へ行くのにはもう他に道はないから、おまえはきっとここを通るだろうと思ってさ。さあ、ほんとのことをぶちまけてくれ、おれを油虫みたいにたたきつぶしてくれ……それはそうと、おまえはどうかしたのかい?」「なんでもありませんよ、兄さん……僕ちょっとびっくりしただけです、ああ、だけどドミトリイ兄さん! さっきお父さんの血を流したばかりなのに(そう言って、アリョーシャは泣きだした。もうずっと前から泣きだしそうになっていたのであるが、今急に心の中で何かぷつりとちぎれたような気がしたのである)。兄さんは危うくお父さんを殺すような目に会わして……のろいのことばまて吐いて来たくせに……もう今は……こんなとこで冗談なんか言うんですか……『財布か命か』なんて!」
「それがどうしたというんだい? いけないっていうのかい? おれの分際に不釣り合いだというのかい?」
「いいえ、そうじゃないけど……僕はその……」
「まあ、よせ、この夜の景色を見ろよ、なんという暗い晩だろう! 雲はどうだい、それになんという風だ! おれはこの柳の下に隠れて、おまえを待っているうちに、ふいと考えたんだよ(正真正銘の話だよ!)、この期におよんで、おれは何をくよくよして、何をいったい待っているんだ? ここに柳の木はあるし、ハンカチもあれば襯衣《はだぎ》もあるから、おれは繩《なわ》をすぐになうことができる、おまけにズボン吊《つ》りがあるぞ――何もこのうえ、世の中の荷やっかいになって、この卑劣な体で大地の神聖をけがしていることはない! ってな、すると、そこへおまえの足音が聞こえて来たのさ、――ありがたいことに! 何かが急に、おれの上へ飛んで来たような気がしたのだ。そうだ、まだおれの愛している人間があるじゃないか、そら、あれがそうなんだ、あの人間だ、あれこそ世界じゅうでおれのいちばん好きな、たった一人の可愛い弟じゃないか! そう思うと、おれはその瞬間に、おまえが可愛くて可愛くてたまらなくなったのだ。ええっ、あれの首っ玉へかじりついてやれ、と考えたんだよ。ところが、またひょいとばかな考えが浮かんで、『ひとつ、おれの心の浮き立つように、おどかしてやろう』と思ったのさ。それで、『財布か命か!』なんて、気ちがいみたいにどなったんだよ、ばかなまねをして済まなかったよ、――あれはほんの冗談で、胸の中は……やはり正気なんだよ……ええ、そんなことは、まあどうだっていいや、だが、あすこでどんなことが起こったのか聞かしてくれ、あの女は何と言った? さあ、おれを押しつぶしてくれ、ぶんなぐってくれ、情け容赦はいらんぞ! あれは躍起になって怒ったろうな?」
「いいえ、そんなことはありません……まるで違いますよ、ミーチャ、あすこで……僕たった今、二人に会いましたよ」
「二人にって、そりゃ誰と誰だ?」
「グルーシェンカがカテリーナ・イワーノヴナのとこへ行っていたのですよ」
ドミトリイ・フョードロヴィッチは愕然《がくぜん》とした。
「そんなはずがあるもんか!」と彼は叫んだ、「おまえはたわごとを言ってるんだよ! グルーシェンカがあの女のとこへ行くなんかって?」
アリョーシャは自分がカテリーナ・イワーノヴナの家へはいって行ったそもそもから、親しく目撃した出来事を残らず話した。彼は十分間ばかり話し続けた。むろん、彼はそれをよどみなく流暢《りゅうちょう》に話したわけでもなかったが、肝心なことばや肝要なしぐさをかいつまむようにして、ただのひとことで自分自身の感情をまざまざと伝えるようにしながら、すべてを手に取るように説明した。兄ドミトリイは不気味なほど身じろぎだもせず、じっと眼をすえて、無言のまま弟を見つめていたが、彼がすべてを了解して、いっさいの事実の要点をつかんだことは、アリョーシャにもよくわかっていた。しかし話の進むにつれて、さすがにその顔はしだいに沈んできた、というよりはむしろものすごくなってきた。彼は渋面をつくって、歯を食いしばっていたが、一つところを見すえていた眸《ひとみ》はさらにひどく凝結して、ひとしおけわしくなったように見えた……が、今まで憤りに燃えてものすごかった顔が、異常な急速度をもって、さっと一変したと見る間に、いっそう思いがけなく、それまできっと結ばれていた唇が一度に開いて、不意にドミトリイ・フョードロヴィッチは矢も楯《たて》もたまらないという風に、いかにも自然な笑い声をあげ
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