ノひとつ、
また、ひとつ……
[#地付き]四十一年二月


  耽溺

あな悲《かな》し、紅《あか》き帆《ほ》きたる。
聴《き》けよ、今《いま》、紅《あか》き帆《ほ》きたる。

白日《はくじつ》の光の水脈《みを》に、
わが恋の器楽《きがく》の海に。

あはれ、聴け、光は噎《むせ》び、
海顫ひ、清《すが》掻《がき》焦《こ》がれ
眩暈《めくる》めく悲愁《かなしみ》の極《はて》、
苦悶《もだえ》そふ歓楽《よろこび》のせて
キユラソオの紅《あか》き帆《ほ》ひびく。

弾《ひ》けよ、弾《ひ》け、毒《どく》の※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]オロン
吹けよ、また媚薬《びやく》の嵐。
あはれ歌、あはれ幻《まぼろし》、
その海に紅《あか》き帆《ほ》光る。
海の歌きこゆ、このとき、
『噫《あゝ》、かなし、炎《ほのほ》よ、慾《よく》よ、
接吻《くちつけ》よ。』

聴けよ、また苦《にが》き愛着《あいぢやく》、
肉《しゝむら》のおびえと恐怖《おそれ》、
『死ねよ、死ね』、紅《あか》き帆《ほ》響《ひゞ》く、
『恋よ、汝《な》よ。』

弾《ひ》けよ、弾《ひ》け、毒の※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]オロン
吹けよ、また媚薬《びやく》の嵐。

一瞬《ひととき》よ、――光よ、水脈《みを》よ、
楽《がく》の音《ね》よ――酒のキユラソオ、
接吻《くちつけ》の非命《ひめい》の快楽《けらく》、
毒水《どくすゐ》の火のわななきよ。
狂《くる》へ、狂《くる》へ、破滅《ほろび》の渚《なぎさ》、
聴くははや楽《がく》の大極《たいきよく》、
狂乱《きやうらん》の日の光|吸《す》ふ
紅《あか》き帆の終《つひ》のはためき。

死なむ、死なむ、二人《ふたり》は死なむ。

紅《あか》き帆《ほ》きゆる。
紅《あか》き帆《ほ》きゆる。
[#地付き]四十年十二月


  といき

大空《おほそら》に落日《いりひ》ただよひ、
旅しつつ燃えゆく黄雲《きぐも》。
そのしたの伽藍《がらん》の甍《いらか》
半《なかば》黄《き》になかばほのかに、
薄闇《うすやみ》に蝋《らふ》の火にほひ、
円柱《まろはしら》またく暮れたる。

ほのめくは鳩の白羽《しらは》か、
敷石《しきいし》の闇にはひとり
盲《めしひ》の子ひたと膝つけ、
ほのかにも尺八《しやくはち》吹《ふ》ける、
あはれ、その追分《おひわけ》のふし。
[#地付き]四十年十二月



前へ 次へ
全61ページ中18ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
北原 白秋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング