減をしなければ思うように訳せなかった。それが次第に厳格な逐次訳でどうにか納めていけるようになった。で、この中には少数の手加減を入れた例外がある。
それから、Rain, rain go to Spain というような音韻上の引っかけことばのものは訳しようとするのがそもそもの無理であるから訳しなかった。「雨、雨、スペインへ」では原謡のおもしろみがなくなるからである。日本でなら「雨、雨、安房《あわ》へ」というふうにあ[#「あ」に傍点]の韻で掛けてゆくべきものである。
Baa, Baa, Black Sheep というようなのも困った。すべてBでいっているのであるが、日本の黒羊のく[#「く」に傍点]にBは掛からない。かといって、「くうくう黒羊」でも羊のなき声は出ない。「なけなけ、黒羊」では意味だけのものになる。意味だけのものでは、ほんとうの訳にはならないのだ。しかたがなければその言語のまま生きさせるほかに道がない。
「やぶ医者のフォスタアさんが、グロオスタアへいって」というふうのものはこれもことばの上の引っかけであるが、固有の名詞でそのままやれるから、そのとおりにしておいた。「お医者さまの西庵《さいあん》さんが埼玉《さいたま》へいって」というふうのしゃれだ。これは両方が固有名詞でいってるのでそのままでいいが、雨とスペインのごとく、一つが普通名詞である場合はまったく困ってしまう。で、あるものは「とっぴょくりんのチャアレエが」と訳しては原謡の妙味が出ない場合に「とっぴょくりんのとん吉が」というふうにと[#「と」に傍点]で掛けたのもある。これはとん吉そのものが人名というより、「とっぴょくりん」そのものが通称化されているからさして障《さわ》りにはならないし、チャアレエという人名は原謡にはただ音韻上のしゃれに使用したまでで、それ以上のものでないから本質的の引っかけの妙味を主として訳したのである。しかしこうした例はこれくらいである。
それからまた、
[#ここから2字下げ]
月の中の人が
ころがっておちて、
北へゆく道で
南へいって
凝《こご》えた豌豆汁《えんどうじる》で
お舌をやいてこォがした。
[#ここで字下げ終わり]
の原謡では「ノルウィッチへいく道をきいて、南へいって」であるが、ノルウィッチはロンドンの北に当たるので、本質の精神は北へが南と対照して、ノルウィッチを知らな
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