ころに一番美しい。彼岸花という名のあるのはそのためである。
この花は、死人花《しびとばな》、地獄花《じごくばな》とも云って軽蔑されていたが、それは日本人の完成的趣味に合わないためであっただろう。正岡子規などでも、曼珠沙華を取扱った初期の俳句は皆そういう概念に囚われていたが、
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※[#「くさかんむり/意」、第3水準1−91−30]苡《ずずだま》の小道尽きたり曼珠沙華 子規
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晩年にはこの句位《くい》に到達して居る。これは子規は偉かったからである。
市電が三宅坂から御濠に沿うて警視庁の方に走ると、直線と曲線とのよく調和した御濠の緑色土手に曼珠沙華がもう群がり咲いているのが見える。そして青くしずまり返った御濠の水には、鵜が一羽黄いろい首をのばして飛んでいたりするのが見える。この新鮮な近代的交錯は、藤原奈良の歌人も、元禄の俳人もついに知らずにしまった佳境である。
底本:「日本の名随筆1 花」作品社
1983(昭和58)年2月25日第1刷発行
2001(平成13)年3月20日第29刷発行
底本の親本:「齋藤茂吉全集 第六
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