か、混沌《こんとん》といはうか、渺漠《べうばく》といはうか、一目|茫々《ばうばう》たる国土を見おろしたが、その時にも到頭雁が飛ばなかつた。
 翌日、方向を間違へて四平街の方へ乗るところを通遼の方へ乗つた。停車場を三つばかり通過してからやつと気がついて、四平街の方向に乗換へた。程経て車房の中に八木沼氏と車中の客と支那語で問答しつつ分かりにくくて幾たびも繰返してゐると、其処に一人の白い手術著を著《き》た支那人が入つて来て日本語で通弁して呉れた。
 その人は、名古屋の医科大学を出た医学士で、そのへんにペストが流行してゐるので、車中の客の健康診断をもしてゐるのであつた。氏はドイツ語をも解し、『只今《ただいま》流行してゐますのはドリユゼンペストです』などと話して呉れた。
 氏は四平街まで来ずに途中で下車し、助手を一人連れてゐた。なかなか威張つてゐたので私等も肩身が広かつた。
 その医学士とわかれて、窓外を見ると、半天に雲がひろがりつつあつた。一方の天が晴れて澄みきつて居るのに、一方には綿のやうなむくむくとした雲がひろがつて来るその動きが見える。その動きが相当の速さであることは汽車の速力と比較すれば分かる。そのうち雲のなかで雷鳴がした。
 日本本土では天の範囲が狭いから那須野のやうなところにゐても、雲が天を蔽《おほ》ふといふやうなことも稀《まれ》でないが、満洲の天は前後左右が唯渺漠としてゐて雷雲が天に充満するなどといふことは、実に容易ならぬことである。
 雷鳴も追々遠くなり、豪雨の降らざる冬雷として私の記憶に残つた。またそのとき始めて雁の一群を見ることの出来たのも、私の記念として歌一首に残つた。私は斯《か》くのごとき渺漠とした満洲の風光を愛して措《お》かないが、そのうち満洲帝国が興つたので、二たび満洲の雷鳴を聞きたいとおもつてゐる。



底本:「斎藤茂吉選集 第十一巻」岩波書店
   1981(昭和56)年11月27日第1刷発行
初出:「東京朝日新聞」
   1937(昭和12)年8月25〜27日
入力:しだひろし
校正:門田裕志
2006年10月18日作成
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