ある歌である。事象としては「天の時雨の流らふ」だけで、上の句は主観で、それに枕詞なども入っているから、内容としては極く単純なものだが、この単純化がやがて古歌の好いところで、一首の綜合がそのために渾然《こんぜん》とするのである。雨の降るのをナガラフと云っているのなども、他にも用例があるが、響きとしても実に好い響きである。

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秋《あき》さらば今《いま》も見《み》るごと妻《つま》ごひに鹿《か》鳴《な》かむ山《やま》ぞ高野原《たかぬはら》の上《うへ》 〔巻一・八四〕 長皇子
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 長皇子《ながのみこ》(天武天皇第四皇子)が志貴皇子《しきのみこ》(天智天皇第四皇子)と佐紀《さき》宮に於て宴せられた時の御歌である。御二人は従兄弟《いとこ》の関係になっている。佐紀宮は現在の生駒郡|平城《へいじょう》村、都跡《みあと》村、伏見村あたりで、長皇子の宮のあったところであろう。志貴皇子の宮は高円《たかまと》にあった。高野原は佐紀宮の近くの高地であっただろう。
 一首の意は、秋になったならば、今二人で見て居るような景色の、高野原一帯に、
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