《もみじ》であるのかも知れない。(土屋文明氏も、萩の花ならそれでもよいが、榛の黄葉、乃至は雑木の黄葉であるかも知れぬと云っている。)萩の黄葉は極めて鮮かに美しいものだから、その美しい黄葉の中に入り浸って衣を薫染せしめる気持だとも解釈し得るのである。つまり実際に摺染《すりぞめ》せずに薫染するような気持と解するのである。また、榛は新撰字鏡《しんせんじきょう》に、叢生曰[#レ]榛とあるから、灌木の藪をいうことで、それならばやはり黄葉《もみじ》の心持である。いずれにしても、榛《はん》の木ならば、「にほふはりはら」という気持ではない。この「にほふ」につき、必ずしも花でなくともいいという説は既に荷田春満《かだのあずままろ》が云っている。「にほふといふこと、〔葉〕花にかぎりていふにあらず、色をいふ詞なれば、花過ても匂ふ萩原といふべし」(僻案抄)。
そして榛の実の黒染説は、続日本紀の十月十一月という記事があるために可能なので、この記事さへ顧慮しないならば、萩の花として素直に鑑賞の出来る歌なのである。また続日本紀の記載も絶対的だともいえないことがあるかも知れない。そういうことは少し我儘《わがまま》過ぎ
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