歌にもあった、「そのかの母も」(巻三・三三七)の場合と同じである。軽く「あの」ぐらいにとればいい。それにしても、自分の恋しいあのお方ということを、「その愛《かな》しきを」という、簡潔でぞくぞくさせる程の情味もこもりいる、まことに旨《うま》い言葉である。農業民謡で、稲扱《いねこき》などをしながら大勢して歌うこともまた可能である。

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信濃路《しなぬぢ》は今《いま》の墾道《はりみち》刈株《かりばね》に足《あし》踏《ふ》ましむな履《くつ》著《は》け我《わ》が夫《せ》 〔巻十四・三三九九〕 東歌
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 信濃国歌。「今の墾道《はりみち》」は、まだ最近の墾道というので、「新治《にひばり》の今つくる路《みち》さやかにも聞きにけるかも妹が上のことを」(巻十二・二八五五)が参考になる。一首の意は、信濃の国の此処《ここ》の新開道路は、未だ出来たばかりで、木や竹の刈株があってあぶないから、踏んで足を痛めてはなりませぬ、吾が夫よ、履《くつ》をお穿《は》きなさい、というのである。履は藁靴《わらぐつ》であっただろう。これも、旅人の気持でなく、
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