あるが、恋に苦しんでいるために、自然自省的なような気持で、こういう云い方をしているのである。後代の読者には、何か思想的に歌ったようにも感ぜられるけれども、いい方《かた》の動機はそういうのではなく、もっと具体的な気持があるのである。この種のものには、「天地《あめつち》に少し至らぬ丈夫《ますらを》と思ひし吾や雄心《をごころ》もなき」(巻十二・二八七五)、「大地《おほつち》も採《と》らば尽きめど世の中に尽きせぬものは恋にしありけり」(巻十一・二四四二)、「六月《みなつき》の地《つち》さへ割《さ》けて照る日にも吾が袖|乾《ひ》めや君に逢はずして」(巻十・一九九五)等は、同じような発想の為方《しかた》の歌として味うことが出来る。心持が稍《やや》間接だが、先ず万葉の歌の一体として珍重《ちんちょう》していいだろう。なお、「外目《よそめ》にも君が光儀《すがた》を見てばこそ吾が恋やまめ命死なずは」(巻十二・二八八三)があり、「わが恋やまめ」という句が入って居る。

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能登《のと》の海《うみ》に釣《つり》する海人《あま》の漁火《いさりび》の光《ひかり》にい
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