憐な菫の花の咲きつづく野を聯想すべきであり、また其処に恋人などの関係があるにしても、それは奥に潜《ひそ》める方が鑑賞の常道のようである。
この歌で、「吾ぞ」と強めて云っていても、赤人の歌だから余り目立たず、「野をなつかしみ」といっても、余り強く響かず、従って感情を強いられるような点も少いのだが、そのうちには少し甘くて物足りぬということが含まっているのである。赤人の歌には、「潟《かた》をなみ」、「野をなつかしみ」というような一種の手法傾向があるが、それが清潔な声調で綜合《そうごう》せられている点は、人の許す万葉第一流歌人の一人ということになるのであろうか。併しこの歌は、富士山の歌ほどに優れたものではない。巻七(一三三二)に、「磐が根の凝《こご》しき山に入り初《そ》めて山なつかしみ出でがてぬかも」という歌があり、これは寄[#レ]山歌だからこういう表現になるのだが、寧《むし》ろ民謡風に楽《らく》なもので、赤人の此歌と較《くらべ》れば赤人の歌ほどには行かぬのである。また、巻十(一八八九)の、「吾が屋前《やど》の毛桃《けもも》の下に月夜《つくよ》さし下心《したごころ》よしうたて此の頃」という歌
前へ
次へ
全531ページ中306ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング