、実際はそうでないのかも知れない、少くとも調べの上では戯れではない。「大丈夫《ますらお》とおもへる吾や」はその頃の常套語で軽いといえば軽いものである。当時の人々は遊行女婦というものを軽蔑せず、真面目《まじめ》にその作歌を受取り、万葉集はそれを大家と共に並べ載せているのは、まことに心にくいばかりの態度である。
「真袖もち涙を拭《のご》ひ、咽《むせ》びつつ言問《ことどひ》すれば」(巻二十・四三九八)のほか、「庭たづみ流るる涙とめぞかねつる」(巻二・一七八)、「白雲に涙は尽きぬ」(巻八・一五二〇)等の例がある。

           ○

[#ここから5字下げ]
千万《ちよろづ》の軍《いくさ》なりとも言挙《ことあげ》せず取《と》りて来《き》ぬべき男《をのこ》とぞ念《おも》ふ 〔巻六・九七二〕 高橋虫麿
[#ここで字下げ終わり]
 天平《てんぴょう》四年八月、藤原|宇合《うまかい》(不比等の子)が西海道節度使《さいかいどうのせつどし》(兵馬の政を掌《つかさど》る)になって赴任する時、高橋虫麿《たかはしのむしまろ》の詠んだものである。「言挙せず」は、「神ながら言挙せぬ国」(巻十三・三二五三)、
前へ 次へ
全531ページ中264ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング