藻刈もしたが、今に潮が満ちて来て荒磯が隠れてしまうなら、心残りがして、玉藻を恋しくおもうだろう、というのである。長歌の方で、「潮干れば玉藻苅りつつ、神代より然ぞ尊き、玉津島山」とあるのを受けている。
 第四句、板本《はんぽん》、「伊隠去者」であるから、「い隠《かく》れゆかば」或は「い隠《かく》ろひなば」と訓んだが、元暦校本・金沢本・神田本等に、「※[#「にんべん+弖」、上−192−12]隠去者」となっているから、「※[#「にんべん+弖」、上−192−12]」を上につけて「潮干みちて[#「みちて」に白丸傍点]隠《かく》ろひゆかば」とも訓んでいる。これは二つの訓とも尊重して味うことが出来る。
 この歌は、中心は、「潮干満ちい隠れゆかば思ほえむかも」にあり、赤人的に清淡の調であるが、なかに情感が漂《ただよ》っていて佳い歌である。海の玉藻に対する係恋《けいれん》とも云うべきもので、「思ほえむかも」は、多くは恋人とか旧都などに対して用いる言葉であるが、この歌では「玉藻」に云っている。もっとも集中には、例えば、「飼飯《けひ》の浦に寄する白浪しくしくに妹が容儀《すがた》はおもほゆるかも」(巻十二・三
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