津より始まる」と云われたほどであった。
この歌は、臨終にして、鴨のことをいい、それに向って、「今日のみ見てや」と歎息しているのであるが、斯く池の鴨のことを具体的に云ったために却って結句の「雲隠りなむ」が利いて来て、「今日のみ見てや」の主観句に無限の悲響が籠ったのである。池の鴨はその年も以前の年の冬にも日頃見給うたのであっただろうが、死に臨んでそれに全性命を托された御語気は、後代の吾等の驚嘆せねばならぬところである。有間皇子は、「ま幸くあらば」といい、大津皇子は、「今日のみ見てや」といった。大津皇子の方が、人麿などと同じ時代なので、主観句に沁むものが出来て来ている。これは歌風の時代的変化である。契沖は代匠記で、「歌ト云ヒ詩ト云ヒ声ヲ呑テ涙ヲ掩《おほ》フニ遑《いとま》ナシ」と評したが、歌は有間皇子の御歌等と共に、万葉集中の傑作の一つである。また妃|山辺皇女《やまべのひめみこ》殉死の史実を随伴した一悲歌として永久に遺されている。因《ちなみ》に云うに、山辺皇女は天智天皇の皇女、御母は蘇我|赤兄《あかえ》の女《むすめ》である。赤兄大臣は有間皇子が、「天与[#二]赤兄[#一]知」と答えられた、そ
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