以て代らした意である。また支那でも印度から木綿の入ったのは宋の末だというし、我国では延暦《えんりゃく》十八年に崑崙《こんろん》人(印度人)が三河に漂着したが、其舟に木綿の種があったのを栽培したのが初だといわれている。また、木綿説を唱える人は、神護景雲三年の続日本紀の記事は木綿で、恐らく支那との貿易によったもので、支那との貿易はそれ以前から行われていただろうというのである。それに対して山田博士云、「遣唐使の派遣が大命を奉じて死生を賭《と》して数年を費《ついや》して往復するに、綿のみにても毎年二十万屯づつを輸入せりとすべきか」(講義)と云った。
 一首の意は、〔白縫〕(枕詞)筑紫の真綿《まわた》は名産とはきいていたが、今見るとなるほど上品だ。未だ着ないうちから暖かそうだ、というので、「筑紫の綿は」とことわったのは、筑紫は綿の名産地で、作者の眼にも珍らしかったからに相違ない。何十万屯(六両を一屯とす)という真白な真綿を見て、「暖けく見ゆ」というのは極めて自然でもあり、歌としては珍らしく且つなかなか佳い歌である。
 そういう珍重と親愛とがあるために、おのずから覚官的語気が伴うと見え、女体と関聯
前へ 次へ
全531ページ中190ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング