ありて筑紫《つくし》や何処《いづく》白雲の棚引く山の方《かた》にしあるらし」(巻四・五七四)というのがあって、形態が似ている。これは旅人の歌よりも早いものであるが、只今は二つ並べて鑑賞することとする。この歌の、「白雲の棚引く山を越えて来にけり」も、近江で詠んだのだから、直接性があるし、旅人のは京《みやこ》にあって筑紫を詠んだのだから、間接のようだが、これは筑紫に残っている沙弥満誓《さみのまんぜい》に和《こた》えた歌だから、そういう意味で心に直接性があるのである。

           ○

[#ここから5字下げ]
昼《ひる》見《み》れど飽《あ》かぬ田児《たご》の浦《うら》大王《おほきみ》のみことかしこみ夜《よる》見《み》つるかも 〔巻三・二九七〕 田口益人
[#ここで字下げ終わり]
 田口益人《たぐちのますひと》が和銅元年|上野国司《かみつけぬのくにのつかさ》となって赴任《ふにん》の途上|駿河《するが》国|浄見《きよみ》埼を通って来た時の歌である。国司は守《かみ》・介《すけ》・掾《じょう》・目《さかん》ともに通じていうが、ここは国守である。浄見埼は廬原《いおはら》郡の海岸で今の興津《
前へ 次へ
全531ページ中180ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング