万葉集燈でコギイデナと定めるに至った。「乞」をイデと訓《よ》む例は、「乞我君《イデアギミ》」、「乞我駒《イデワガコマ》」などで、元来さあさあと促がす詞《ことば》であるのだが「出で」と同音だから借りたのである。一字の訓で一首の価値に大影響を及ぼすこと斯くの如くである。また初句の「熟田津に」の「に」は、「に於《おい》て」の意味だが、橘守部《たちばなのもりべ》は、「に向って」の意味に解したけれどもそれは誤であった。斯《か》く一助詞の解釈の差で一首の意味が全く違ってしまうので、訓詁《くんこ》の学の大切なことはこれを見ても分かる。
 なお、この歌は山上憶良の類聚歌林に拠《よ》ると、斉明天皇が舒明天皇の皇后であらせられた時一たび天皇と共に伊豫の湯に御いでになられ、それから斉明天皇の九年に二たび伊豫の湯に御いでになられて、往時を追懐遊ばされたとある。そうならば此歌は斉明天皇の御製であろうかと左注で云っている。若しそれが本当で、前に出た宇智野の歌の中皇命が斉明天皇のお若い時(舒明皇后)だとすると、この秀歌を理会するにも便利だとおもうが、此処では題どおりに額田王の歌として鑑賞したのであった。
 橘守部は
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