回もミダルに従った。若し、マヰリクラクモと訓むとすると、「ふる雪を腰になづみて参《まゐ》り来し験《しるし》もあるか年のはじめに」(巻十九・四二三〇)が参考となる歌である。
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もののふの八十《やそ》うぢ河《がは》の網代木《あじろぎ》にいさよふ波《なみ》のゆくへ知《し》らずも 〔巻三・二六四〕 柿本人麿
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柿本人麿が近江から大和へ上ったとき宇治川のほとりで詠んだものである。「もののふの八十氏《やそうぢ》」は、物部《もののふ》には多くの氏《うじ》があるので、八十氏《やそうじ》といい、同音の宇治川《うじがわ》に続けて序詞とした。網代木《あじろぎ》は、網の代用という意味だが、これは冬宇治川の氷魚《ひお》を捕るために、沢山の棒杭を水中に打ち、恐らく上流に向って狭くなるように打ったと思うが、其処が水流が急でないために魚が集って来る、それを捕るのである。其処の棒杭に水が停滞して白い波を立てている光景である。
この歌も、「あまざかる夷《ひな》の長道《ながぢ》ゆ」の歌のように、直線的に伸々《のびのび》とした調べのものである。こ
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