の渾沌《こんとん》として深いのに吾々は注意を払わねばならない。
 この歌の第二句は、「日は照らせれど」であるから、以上のような解釈では物足りないものを感じ、そこで、「あかねさす日」を持統天皇に譬《たと》え奉ったものと解釈する説が多い。然るに皇子尊薨去の時には天皇が未だ即位し給わない等の史実があって、常識からいうと、実は変な辻棲《つじつま》の合わぬ歌なのである。併し此処は真淵《まぶち》が万葉考《まんようこう》で、「日はてらせれどてふは月の隠るるをなげくを強《ツヨ》むる言のみなり」といったのに従っていいと思う。或はこの歌は年代の明かな人麿の作として最初のもので、初期(想像年齢二十七歳位)の作と看做していいから、幾分常識的散文的にいうと腑《ふ》に落ちないものがあるかも知れない。特に人麿のものは句と句との連続に、省略があるから、それを顧慮しないと解釈に無理の生ずる場合がある。

           ○

[#ここから5字下げ]
島《しま》の宮《みや》まがりの池《いけ》の放《はな》ち鳥《どり》人目《ひとめ》に恋《こ》ひて池《いけ》に潜《かづ》かず 〔巻二・一七〇〕 柿本人麿
[#ここで字下げ終
前へ 次へ
全531ページ中136ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング