女の詠まれた歌である。皇女は皇子の同母姉君の関係にある。
一首は、わが弟の君が大和に帰られるを送ろうと夜ふけて立っていて暁の露に霑れた、というので、暁は、原文に鶏鳴露《アカトキツユ》とあるが、鶏鳴《けいめい》(四更|丑刻《うしのこく》)は午前二時から四時迄であり、また万葉に五更露爾《アカトキツユニ》(巻十・二二一三)ともあって、五更《ごこう》(寅刻《とらのこく》)は午前四時から六時迄であるから、夜の更《ふけ》から程なく暁《あかとき》に続くのである。そこで、歌の、「さ夜ふけてあかとき露に」の句が理解出来るし、そのあいだ立って居られたことをも示して居るのである。
大津皇子は天武天皇崩御の後、不軌《ふき》を謀ったのが露《あら》われて、朱鳥《あかみとり》元年十月三日死を賜わった。伊勢下向はその前後であろうと想像せられて居るが、史実的には確かでなく、単にこの歌だけを読めば恋愛(親愛)情調の歌である。併し、別離の情が切実で、且つ寂しい響が一首を流れているのをおもえば、そういう史実に関係あるものと仮定しても味うことの出来る歌である。「わが背子」は、普通恋人または夫《おっと》のことをいうが、この場
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