ものも居た。『窮理の学』といふことがそれらの教員の口から云はれた。父は冬の藁為事《わらしごと》の暇に教員のところに遊びに行くと、今しがた届いたばかりだといふ三稜鏡《さんりようきやう》を見せられた。さうして日光といふものは斯《か》うして七色の光から出来て居る。虹《にじ》の立つのはつまりそれだ。洋語ではこれをスペクトラと謂《い》つて七つの綾《あや》の光といふことである。旧弊ものは来迎《らいがう》の光だの何のと謂ふが、あれは木偶法印《でくほふいん》に食はされてゐるのだ。教員は信心ぶかい父のまへにかう云つて気焔《きえん》を吐いた。
 父は切《しき》りにその三稜鏡をいぢつてゐたが、特別に為掛《しかけ》も無く、からくりも見つからない。しかしそれで太陽を透《すか》して見ると、なるほど七|綾《りよう》の光があらはれる。
 父は暫《しばら》く三稜鏡をいぢつてゐたが、ふと其《それ》を以《もつ》て炉の火を覗《のぞ》いた。すると意外にも炉の炎がやはり七つの綾になつて見える。父は忽《たちま》ち胸に動悸《どうき》をさせながら、これは、きりしたん伴天連《ばてれん》の為業《しわざ》であるから念力で片付けようと思つた。
 教師様。お前はきりしたん伴天連に騙《だま》されて居るんではあんまいな。これを見さつしやい。お天道《てんたう》さまも、ほれから囲炉裏のおきも、同じに見えるのがどうか。からくりが無いやうにして此の中に有るに違ひないな。きりしたん伴天連おれの念力でなくなれ。
 かういつて、父は三稜鏡をいきなり炉の炎の中に投げた。教員は驚き慌ててそれを拾つたが、忿怒《ふんど》することを罷《や》めて、やはり父がしたやうに炉の炎をしばらくの間三稜鏡で眺めてゐた。教員は日光と炉の焚火《たきび》と同じであるか違ふものであるかの判断はつかなかつた。教員の窮理の学はここで動揺した。父は威張つてそこを引きあげた。
 後年父は屡《しばしば》その話をした。文明開化の学問をした教員を負かしたといふところになかなか得意な気持があつた。けれども単にそれのみではなかつたであらう。神を念じて穀断《ごくだち》塩断《しほだち》してゐたやうな父は、すぐさまスペクトラの実験の腑《ふ》におちよう筈《はず》はないのである。腑に落ちるなどと謂《い》ふより反撥《はんぱつ》したといつた方がいいかも知れない。
 それからずつと月日が立つて、父は還暦を過
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