た。旅舎《やど》に著いて、夕餐《ゆふさん》を食し、そして一先づ銘々|帰家《きか》することに極《き》めた。それまで湯に入るものは湯に入り、将棋を差すものは将棋を差した。心が妙に興奮してゐて、思はぬ所ではしやいだりしたのであつた。

     五

 その夜十一時幾分かの上諏訪《かみすは》発の汽車で、中村憲吉君は摂津に向ひ、僕等は東京に立つた。平福百穂、岩波茂雄、土屋文明、高田浪吉の諸君同道である。
 朝六時頃新宿駅に著くと、家根瓦《やねがはら》の上に霜が真白《ましろ》に置いてゐた。今ごろなんだつてこんなにきびしい霜だらう。さうおもひながら僕は家に著いた。家には父母も妻も誰もゐなかつた。これはゆうべ妹の死報に接して、その方につめかけてゐたのであつた。妹は、ゆうべ僕らが上諏訪を立つて少し来たころに歿したのである。僕は実に混乱せんとする心を無理におししづめて暫《しばら》く眠つた。それから外来診察をし、溜《た》まつてゐる手紙端書を少し書いた。そこへ、今井|邦子《くにこ》さんから電話がかかつて、どうしても一度、島木先生にお目にかかりたいといふことであつた。僕は直ぐそのことを否定した。今井さんは涙を流してゐる風であつた。兎《と》も角今夜アララギ発行所に来てもらひたい旨をいつて電話を切つた。
 午後に僕は妹を弔ひに行つた。妹は安らかな顔をして死んでゐた。妹が生んだ大きい方の女の子は珍らしい客が来るので切《しき》りにはしやいでゐるのも、ひどく僕を感動せしめた。夕刻に妹の家を辞して、途中で蕎麦《そば》を食ひ、その足でアララギ発行所に行つた。
 発行所で今夜は、同人《どうにん》の重立《おもだ》つた人々に来て貰《もら》つて、今日まで秘《ひ》して居つた島木赤彦君の病気の経過を報告しようとしたのであつた。席には土屋文明君、橋本福松君もすでに見えてゐた。僕は同人の重だつた人々に赤彦君の疾病《しつぺい》の経過の大体を話し、一月廿一日に伴《ばん》さんから胃癌の宣告を受けたこと。二月二日に胃腸病院の神保孝太郎《じんぼかうたらう》博士の診察を受けたこと。次いで佐藤|三吉《さんきち》博士の診察を受けたこと。今はすでに重篤の状態にあることをも云つた。そして、赤彦門下の三人の女流は岡|麓《ふもと》さんと一しよに明日|信濃《しなの》に立つこと。そのほかの諸君は病気の邪魔になるから行かぬことを約したのであつた。同
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