坂の歌よみし妻は今算入せず)、委しくは予が先にのべたるがごとし。さておもひ人はその数はいくたりといふことを数ふべくもあらず。此説古義にもいへり。茲に第九歌集中の歌に、与妻歌一首。雪己曾波、春日消良米、心佐閉、消失多列夜、言母不往来。妻和歌一首。松反、四譬而有八毛、三栗、中上不来、麻追等言八方。とあれどもこれは、歌のさまをおもふに人麿のとしもおもはれねば、とらず』。これで見ると岡田氏は五人説だが、土方娘子をも入れてゐるのである。その他|妾《おもひめ》は幾人ゐるか分からないといふのだが、これも一つの看方である。
 関谷真可禰氏は、四人説で、第一軽娘子、第二羽易娘子、第三依羅娘子、第四石見娘子となるのである。関谷氏は人麿が第一の妻と二十九歳で結婚し、四十四歳で第四の妻と結婚したやうに計算して居る(人麿考)。
 樋口功氏云。『石見娘子と依羅娘子とを同人と見、軽娘子と羽易娘子とを加えて三人と見るのが先づ最も穏当な説かと思ふ。石見で別れた妻が依羅と同人かと思はれることは既に再三いつた』(人麿と其歌)。これは三人説で、軽娘子と羽易娘子とを別人として考へてゐる。
 山田孝雄氏は、人麿妻死之後泣血哀慟作
前へ 次へ
全15ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング