ごしたが、午後から夕にかけて蟻《あり》を見るのが楽しみで、いつもそれで気をまぎらせてゐた。蟻はよく戦をした。ある時かういふことがあつた。大きい蟻の足を小さい蟻が銜《くは》へてどうしても離さない。大きい蟻が怒つて車輪の如くに体をまはす、小さい蟻はそのままに廻《ま》はされ、埃を浴びて死んだやうになる。それでも銜へた大蟻の足を離さない。また大蟻がそのまま小さい蟻を牽《ひ》いて行かうとすると、さう容易には牽いて行かれない。大きい蟻は車輪の如くにまはす運動を繰返して小さい蟻を押潰《おしつぶ》さうとするが、小さい蟻はそれに任せて置いて、一時死んだやうになるが、死んでは居ない。そのうち大きい蟻が疲れて運動が鈍くなつて来た。それでも歩かうとする。さうなると今|迄《まで》死んだやうになつてゐた小さい蟻が、むくむくと動き出して、あべこべに大きい蟻を牽くやうな恰好《かつかう》をする。これは実におもしろい。実にすばらしい習性である。さう自分は心に思つて、夕飯まへまでそれを見つめて居た。そしてひよつとすると、これは小さい蟻の勝になるかも知れない。目下の形勢では小さい蟻に分がある。大きい蟻が小さい蟻を一気に噛《か》みつけば何の事はないのだが、一度もこれまで噛みつくことをしない。さうせば小蟻の勝になるだらう。さうして自分は暗々裏に小さい蟻の贔負《ひいき》をした。その贔負のうちにはただの贔負でない切実なものがあつたこと無論である。そのうち段々くらくなつて来て夕飯になつた。自分は夕飯を済ましてから、二たびこの蟻の闘《たたかひ》を見に来た。すると殆ど人目では見えなくなつた黄昏《たそがれ》の中に、二つの蟻が先程とさう違はない場処に、先程とさう違はない状態に、闘をつづけてゐた。
それから三年になつた。さうして自分は東京へ帰つて来た。自分は終戦の年の翌年一月三十日に金瓶村から大石田町に移つたが、三月はじめから肋膜炎《ろくまくえん》にかかり、実に苦しいおもひをした。病がやうやく癒《い》えたころ、程近い愛宕《あたご》神社まで散歩して蟻の歩いてゐるのを見る毎に、金瓶村、十右衛門裏庭での、大きい蟻と小さい蟻との闘《たたかひ》を想起するのであつた。一体あの後奴等の運命はどうなつたであらうか。往古にはダビデは巨漢ゴリアーテを僵《たふ》した話がある。ダビデは小、ゴリアーテは大であつた。けれどもそれは遠い過去世の物語で
前へ
次へ
全5ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング