眇《すがめ》の小さな媼《おうな》であったが、五、六種の色の粉末を袋に持っていて人だかりの前で、祐天和尚《ゆうてんおしょう》だの、信田《しのだ》の森だの、安珍清姫だの、観世音霊験記だのを、物語をしながら上下左右自由自在に絵を描いて行く、白狐《びゃっこ》などは白い粉で尾のあたりからかいて、赤い舌などもちょっと見せ、しまいに黒い粉で眼を点ずる、不動明王の背負う火焔《かえん》などは、真紅な粉で盛りあげながら描くといったような具合で、少年の私は観世音に詣《もう》ずるごとに其処を立去りかねていたものである。その媼もいつのまにか見えなくなった、何時《いつ》ごろどういう病気で亡くなったか知る由もなく、また媼の芸当の後継《あとつぎ》もいず、類似のわざをする者も出ずにしまったから、あれはあれで絶えたことになる。その頃助手のようなものは一人も連れて来ずに、いつも媼ひとりでやって来ていた。またその粉末も砂がきとはいえ、砂でなくて饂飩粉《うどんこ》か何かであったのかも知れず、それにも一種の技術があって万遍なく色の交るように拵《こしら》えてあったのかも知れないが、実際どういうものであったか私にはよく分からぬ。また
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