拔出でて佛壇あたりを迷つてゐる魂魄《こんぱく》みたやうなもので、僕らには何の役にも立たぬ筈である。萬葉集の『ことば』を離れて、萬葉びとの『語氣』を離れて、萬葉集の『精神』を云々するのは道ぐさ食ひの説だと思ふ。そして眞淵の『丈夫ぶり』をば僕らは新らしい説として創造すべき筈である。これは君は確かに贊成して呉れる。
 以上の言をもつて、『概論』を君に向つて説いたと取られると僕はひどく恥かしいのである。君はこのたび歌でいろいろの新しい『試み』をしてゐる。それは僕の此迄思ひ及ばなかつた諸點に到つてゐる。その努力には感謝してもその實質には贊し難いといふのであつて、僕は近ごろ「萬葉集檜嬬手」を送つて貰つて君の守部論を讀んだ。そのなかに、『彼の文藝上の作物は、歿後冬照の出版した橘守部家集に、長歌短歌ともに殘つてゐる。彼の一生の事業の中で、恐らく一番價値の少いのは、此方面の創作であつたのであらう。あれほどに記紀萬葉をはじめ、律文要素のある書物に沒頭してゐた人で、而も其影響が單に、知識或は形式上の遊戲として表れてゐても、内的に具體化せられてゐないのは虚の樣な矛盾である』といふのがある。此は君の守部論中で、僕にとつて、嘗ても現在も一番利いた文章であつた。守部の作歌と君の作歌とを同列に置くことは僕は死すとも能はない。ただ『あれほど記紀萬葉に造詣深い』といふことは君自身に冠らせることは虚僞ではあるまい。そして『一生中一番價値の少い』をば君の作歌に冠らせることが若し虚僞でなかつたら、僕は殘念なのである。
 僕は長崎に來て、はじめて『水』の尊さを知つた。雨の降るのをしんから嬉しんだ。これは清淨な水に飽いて春雨の哀れを讚ずる俳諧趣味とはちがふのである。いまは借家の事で苦勞してゐる。それから女中が土地に馴れないので、食べものの事に苦勞してゐる。性欲の方はひと時苦しんだが、今は落著いてしまつてゐる。そして時に狩野享吉先生が面かげに立つたり、森博士作「※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]」が心に浮んだりしていい氣持になることもある。
 長崎はいい處だけれども折々東京に歸つてしまひたくなる事がある。土屋君が諏訪に、君は小田原に行つて、岡さんが忙しいだらうし、赤彦君と千樫君だけでは手が足りない。けふ畫伯からの書簡を讀んで忝いと思つた。門間君はどうだらうか。中村君も早く癒ればいい。以上餘りぶしつけで工合が惡くても君は堪忍するに相違ない。これから僕は寢ようと思ふ。



底本:「齋藤茂吉全集 第十四卷」岩波書店
   1952(昭和27)年7月10日第1刷発行
底本の親本:「童馬漫語」春陽堂
   1925(大正14)年4月15日第5版
初出:「アララギ」
   1918(大正7)年5月
※この作品は「童馬漫語」の139に掲載されている。
※底本で「萬集集の『精神』」となっていた箇所は、「童馬漫語」春陽堂(1948(昭和23)年4月20日初版)を参照して「萬葉集の『精神』」に直しました。
入力:高柳典子
校正:多羅尾伴内
2004年2月19日作成
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